Louis Sclavis

この人の話もしとかなくてはね。

Louis Sclavis

バスクラリネット、クラリネット、ソプラノサックスをメインに演奏する。フランス人で、生まれはリヨン。確か日本の高校に当たる音楽学校を中退して、演奏活動をはじめたはずだ。中退した理由は、アートアンサンブルオブシカゴを聴いて衝撃を受けて、クラシック中心の音楽教育に嫌気がさしたんだとか。

ワークショップドゥリヨンの立ち上げに関わったり、ARFI「空想的民族音楽集団(だったかな?)に関わったりしつつ頭角を現し、今やヨーロッパを代表するクリエイターとなった。音楽はコンテンポラリーなジャズのイディオムと一線を画し、free improvisationから映画音楽まで幅広く手がける。自身のバンドは長年動いているものは少なく、数年ごとにメンバー編成を入れ替えて、コンセプチュアルな作品を作ることが多い。

さて、人物紹介はこのぐらいにして、僕がLouis Sclavisを初めて聴いた時のことを話そう。Michel Portalのアルバムでバスクラリネットに開眼した僕は、そのあとこの楽器の演奏家を探し回ることになる。多分ジャズでバスクラリネットと言ったらDolphyぐらいしかみんな知らない時代。いてもクラリネットプレーヤーが数人程度だったけれど、探し当てた。そのアルバムが’carnet de routes’というアルバム。 Aldo Romano,Henri Texierとのトリオだけれど、そこにはもう一人の名前もクレジットされていた。Le Querrec (Leica)。ライカのカメラを持った男が四人目のメンバーとはどういうことなのか。

ジャケットは通常のプラケースにしては分厚く、厚紙でカバーがされていた。取り出して意味を理解する。分厚くなったぶんは写真集なのだ。アフリカへジャズのルーツをたどり3人のミュージシャンがツアーする。それをドキュメントする一人の写真家。確かに、これはただの音楽作品以上のものだ。メンバーは4人。

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一曲めのStanding Ovationで僕はSclavisの虜になった。いや、RomanoにもTexierにも。力強く前進するドラムと唸る様にブンブン鳴るベース。単純なリズムの反復なのに何か期待せずにはいられない最初のリフ。たった3人の演奏なのに、そこに土の香りと突き抜ける空の青さと舞い踊る、あるいは食い入る様にじっと見つめる聴衆たちのいる光景が広がる。土壁、土埃、まばらな並木の木陰。生ぬるいビール。汗だく。笑い声、話し声、往来を行き来する人々。興奮、熱狂。

それ以来、この人のアルバムを見つけては買って聴き、その音楽の魅力を追いかけ続けている。彼と同じ音楽家になった今でも、Sclavisの前では一人のファンになってしまう。

パリの最後の夜にそのSclavisの音楽に触れることができた。日本に来ることはなかなかないから、この機会は本当に楽しみだった。最前列に座り一音一音を体に染み込ませていく。カルテットでの演奏の一部始終を眺め、音楽がその場で形作られていく様を観察する。まるで調理場にいるみたいでもある。

きっとなんども演奏しているはずの曲。でもそれは今まさにそこで作られた鮮度を保って僕の感覚にサーブされるのだ。

ライブが終盤にさしかかるのを感じる。これを次に聞けるのはいつなんだろう。Le Tritonを訪れることができるのはいつになるだろう。そんなことを思い寂しくなる。気軽に来られる土地じゃない。でも来た。これが見たくて来た。そう思ったら、また来ようと思った。今度はステージに立つ人間として。

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バスクラリネットは独学

僕はバスクラリネットを独学で習得した。多くのスタジオミュージシャンやジャズプレーヤーがもちかえでバスクラリネットを吹いているし、その多くはおそらくほぼ独学だと思うのでそんなに誇らしげに言うものでもないのだが…

僕の場合は、ソプラノクラリネット、いわゆる一般的にみんなが思うクラリネットについてはクラシックの先生に手ほどきを受けている。だからバスクラリネットは独学とはいえある程度のアドバンテージはあるのかもしれない。例えば運指はほぼ同じ。楽譜を読み換える必要もない。人によっては思うだろう。大きさが大きくなっただけだから、そのぶん口を大きく開けて吹けばいいんじゃないの?

僕も最初はそう思っていたし、周りにもソプラノクラリネットとバスクラリネットを難なくこなす連中もいたから、当然すぐに吹けると思っていた。

初めてバスクラを楽器店で試奏した時のことだ。簡単なスケールから初めて、楽器のサイズ感に慣れようと思って吹き始めたところ、低音が上手く出せなかった。何度やっても。音は出るのだが、それは想定していた音ではなくて、裏声のように高い音。そのうち慣れるだろうと思って、最初は気にしていなかったのだが、これが後々も悩みのタネとして、ついてまわることになる。

それ以外にも左手を使って押さえるキーの大きさと重さに面食らったりして、最初の半年ぐらいはとんでもなく何もできなかった。低音は裏返り、速いパッセージは楽器がぐらついてきちんとコントロールできない。しばしば予想外に素っ頓狂に高い音が出る、などなど。

ともかく、自分でやっていくことにして決めたことがある。予期せぬ音が出ることに関しては、それを受け入れることにした。それが出ないように心を抑えると、他の音たちまで抑え付けられてしまう。だから、僕は未だに素っ頓狂な音をだす。リードミスも。つまりは、いい加減を自分に許したわけだ。

これは独学だからこそできる決断かもしれない。もし誰かに習っていたら、もっと抑圧された音楽的感性に向かっていた気がするのだ。一時期、専門家に習おうかとも思ったのだが、専門家に習うと普通のバスクラリネットの音になってしまいそうで、それも嫌だった。音を出す前に何か妙に構えて、それから音を出す感じが、即興演奏の奏法には向いてないと思った。丁寧に、綺麗に、完璧な音を出しましょう、と言っているようにしか聞こえない人が多くて。

一旦そう言ったマインドにはまってしまうと、自由は遠のく。野蛮で粗野で荒々しく咆哮する音が失われる。逆に、丁寧に整えられて、綺麗に彩られた、高級に見えるまやかしの音が安っぽく崇められる。なぜみんな叫ばない?なぜ湧き上がる感情に蓋をする?

そんなことを思いながら、また素っ頓狂な音を出している。いずれにせよ、僕は僕なりの楽器の奏法を見出したし、それはとてもシンプルで、ある種の音楽を演奏するのに適したマインドに、最短距離で到達できるに違いない感性の作り方でもあるのだ。

 

Portal at Le Triton

Michel Portalを最後に見たのは確か10年以上前。パルテノン多摩でクラリネットフェスティバルというものが開催された時のこと。世界中からクラリネット吹きが集まるイベントなのだが、普段はアメリカを中心に行われていて、その年はなぜか日本で開催されたのだ。

それ以前に僕は三度Portalを観ている。初めて観たのはJazz in Parisというコンサートで、フランスのジャズプレーヤーが何組か来日して、一晩のコンサートで一気に演奏してしまうという、盛り合わせみたいなコンサートでだった。それを二つの会場で観た。もう一つはアコーディオンのRichard GallianoとのDuo。

Portalのライブでの印象は見るたび、いつも変わらない。神経質なのかわからないけれど、ステージ上では何かイライラした様子で落ち着きがなく、PAに文句をいったり、共演者に何やら不機嫌そうに指図したり。でも、ある瞬間にスイッチが入るのか、急に目が輝き、床を強く踏み、「ハッ」と掛け声のようなものを何度も発したり。エネルギッシュで活発な演奏をする。ただ、どこかしら、すごくピリッとした切れ味のようなものを感じたのを今でも覚えている。

パリのLeTritonという会場でPortalがコンサートをやるという情報は七月の時点で知っていて、このタイミングでパリに行くことにした。しかもその一週間後にもう一人の僕にとっての重要な音楽家、Louis Sclavisも同じLe Tritonで演奏するという。その頃、僕はいろんな意味で実はかなり参っていて、九月にパリにいることすら想像していなかった。そんな中で目にしたこの二つのコンサート。

止めるにしろ進むにしろ、これを観るまでは頑張ってみよう、と思った。

早速両方のチケットをオンラインで押さえて、トロントからニューヨーク、バンクーバー、ロンドン、リスボンを経てパリにたどり着いた。その間に、さらにどん底のような時間もあったし、何にも替えられない素晴らしい時間もあった。

パリに降り立ったのが9月12日。コンサートは翌日13日。Le Tritonは主にフランスベースのジャズプレーヤーが演奏をする場所なのだけれど、いわゆるメインストリームのジャズに収まらないプレーヤーが出演することが多い会場だ。まあ、メインストリームっていうのはアメリカのジャズプレイヤーやそのスタイルを信奉するプレーヤーのジャズと考えるとしたならば、ある意味フランスらしいジャズが楽しめる最高の場所といって良い。YouYubeで過去のコンサートを観ることができるので、見てごらん。Le Triton

Le Tritonの看板が目にはいる。ようやくやって来たんだと思うとワクワクした。入り口の横に今晩の出演アーティストの写真。もちろんPortalだ。

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会場は100人入ったらいっぱいじゃないかと思う大きさ。折りたたみのパイプ椅子が所狭しと並べてあって、飲み物や食事をするテーブルは一切なし。ただ、飲みながら楽しみたいという人向けに、奥にバーカウンター席はある。でも、数人飲み物を飲んでいる人はいたけれど、ほぼみんな聴くことに徹している。ワンドリンクオーダーという厄介なシステムはないのだ。ちなみに、Le Tritonはレストランもあり、みんなライブの前後に食事なり飲むなりを楽しむことができる。ちなみにチケットは20€。およそ¥3,000だ。

座席指定も一切ないので早いもの順に席は埋まる。僕は30分前に着いたが、前から3列目。悪くない。そして、始まるまでしばらく待っていた。隣に座った男性が「ここはいい場所だね。私は初めて来たけれど、とても素晴らしい場所だというのがわかるよ」と話しかけて来た。「私も初めてだよ。ここに来れて、Portalを観ることができるのは、最高だ」などと話しているうちに、司会の男性が、始まりを告げる。

舞台下手から、3人が現れた。まずKeyvan Chemiraniという確かイラン出身のパーカッションプレーヤー。そして、Portal。最後にpianoのBenjamin Moussay。

Portalがマイクを持ち、今から演奏する曲目について解説している。フランス語なのでわずかな知っている単語を頼りに聞き取った限りの話だけれど。おもむろに演奏を始めるPortalしか見たことがなかったので新鮮だ。思いの外、喋る。表情はリラックスしていて、神経質な感じはない。そしていよいよ始まる。

Chemiraniがパーカッションを繊細に指で叩いたり擦ったりしてリズムを刻む。Moussayがそこに少ない音で奥行きを作って、会場がその広がりになじんだ瞬間に。Portalが無造作に楽器を構えて何気なく息を吹き込む。それが、他の誰にも出せないPortalの音になる。その音が僕は大好きだ。決して大きくない音。むしろギリギリ小さい、ささやくような音。でも柔らかく、艶やかで、会場の隅々まで届き、聴く人を一気に惹きつける。

その音を聞いた瞬間に、図らずも少し泣いてしまったよ。色々な感情がその裏側にあって、一言では言えないけれど。僕の心のなかにあの音は確かに染み込んで揺さぶったのだ。初めて聴いて揺さぶられた時と同じく。結局僕にとっての音楽はそういうものであったのだ。揺さぶられるかどうか。心を鷲掴みにして持っていくかどうか。そういった音楽が好きだし、そういった音楽を作りたいと今まで思い、続けてきた。自分に今、それができているのかどうかは全くわからないけれど、少なくとも感受性だけはまだ残っていた。

Portalの何が好きかっていうと、自由だっていうこと。この人の曲は結構演奏するのが難しいメロディーであることが多いのだけれど、本人がちゃんと演奏できてるかというと実は甚だ怪しいことも多い。タイミングを間違えたり、ずれたり、なんてことはしょっちゅうだ。でも本人はお構いなし。きっと彼にとって音楽はそういうものなのだ。合わせる?正しい音?あるいは間違い?それがなんだっていうんだ。私は私なんだよ。私がここにいるってことに正しいも間違いも、あるはずがない。そして君達もここにいる。それが全てを語ってる。そうだろ?そんな風に感じる。

コンサートは続く。休憩なしでおよそ1時間40分ぐらい。アンコールが二回。一回目はオリジナルの曲だったけれど、2回目は、Portalの好きなシャンソンをその場で。Portalがこういう歌なんだよ、と口ずさむ。楽しそうだ。目がキラキラしている。Chemiraniがリズムを理解して、叩き出す。Portalがそれに乗ってバスクラリネットを吹き出す。AメジャーとAマイナーを交互に行き来する三拍子の可愛らしい曲。Moussayはコード進行を手探りで弾きだす。最初は戸惑いながら、やがて飲み込み、3人がリラックスしながら遊び出す。ほんの数分間だけ。でも、”音楽”というその言葉通り。

 

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そして、終わりがやってくる。音楽とはそういうものだけれど。でも、心にその時間が残って、目を瞑るとその場所に戻ることができる。僕の中にそういう時間が一つ。大事な思い出の一つになる。

 

もう少し続けてみよう、と帰りのバスを待ちながら思った。

帰国のお知らせ

ここまで4ヶ月間のhopping coiuntriesを続けてきましたが、ここでお知らせがあります。今リスボンにいて、今週の水曜日にパリに向かいます。そこにおよそ一週間滞在した後、帰国することにしました。

色々な場所で出会ったミュージシャンとライブやセッションをする。即興演奏を通してそれを体感したい、国と言葉を超えて。その中で新たな出会いや新しい刺激を得ること。それが目的で始めました。当初一年ほどと考えて旅に出たわけですが、これまでに周った都市、トロント、ニューヨーク、バンクーバー、ロンドン、リスボン、そしてパリ。嬉しい出会いや再会があることもあり、それが叶わぬこともあり、順風満帆というわけではありませんでした。こうして過ごした4ヶ月間で自分の中の音楽への向き合い方も変化しました。

いずれにせよ、こうして出たおかげで色々な街でライブをすることができ、次に繋がる出会いがあったのは確かです。ミュージシャンとセッションをして、次はいつ来るんだ?その時はライブをやろうぜ、と言われることほど嬉しいことはありません。あるいは、あまりimprovisationに触れることがなかったお客さんが目を丸くして、喜んでくれたり、ライブの後レストランで食事をしていたら、素晴らしいライブだったよ、と会場に居合わせたお客さんに偶然出くわしたり。

結局のところ、いいミュージシャンと、オーディエンス。その二つに恵まれてここまで来れたのです。そして、自分にできる最大限いい音楽を作り演奏すること。それをどこであれ続けること。そんな当たり前のことを改めて深く感じることができました。

帰ったらまた遊んでくださいな。あるいはまた遊びに来てくださいな。

リスボンの味、少々。

ポルトガル料理。

僕にはイメージがなかった。どんなものが多く食されているのか。肉なのか、魚なのか、パンなのか、ジャガイモなのか、などのことすら知らないままリスボンに着いた。

最初に食べたのはハンバーガー。たまたま目に入っった空港の中のレストランで食べた。ハンバーガーと侮るなかれ。世界で一番標準化された食べ物の一つなので、その国の食の傾向を知るには実は最適な指標だと思う。

さて。味は非常に良かった。ソースがかかっているのだけれど、おそらくバルサミコをベースにしているんだろうな。少し甘酸っぱい感じの味付け。パテも肉厚。大きさは、北米のハンバーガーに引けを取らないボリュームで、それにポテトもついて。なかなかの量。おそらくこちらの人は日本人からしたら、大食いだ。

この経験でポルトガル料理への期待値は上がったのだけれど。

それ以降一日に一回はポルトガル料理と思われるものを食べるようにしてみたが…どうも微妙な気がし始めている。

リスボンで一番多く消費されている魚はおそらくタラだ。スーパーの魚売場には必ず巨大なタラの塩漬けが置いてある。切り身も。だから、レストランでもタラを使った料理は当然ある。色々な情報を見ていくとバカリョー・ア・ブラズ(と読むのかな)というタラ料理が有名らしい。タラの切り身とフライドポテトを卵でとじた料理で、どこで食べても外れないという。ステイ先の近所のレストランにもあったので試して見た。

基本味付けはシンプルな塩味で、旨味はタラの味によっているようなのだけれど、なんとなく薄味だ。何かが欲しい感じ。

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別の日には蛸を試して見た。蛸をメインに据えるのはあまり日本ではお目にかからないので、どんなか期待したけれど、こちらはさらに薄味。付け合わせの野菜には塩すら多分かかっていない。自分で好みに味をつけましょうということなのか…

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ちなみにソーセージは色々種類があるのだけれど、どれもなかなかしょっぱい。しかも、硬い。サラミに近い感じ。何種類かの盛り合わせを食べて見たけれど、食べているうちに顎が疲れてくるくらい。ビールと一緒に食べると美味しいとは思うのだけれど、僕はサングリアを飲んでしまった。

とまあ、最高にうまいっ、てなるものにはまだ出会っていないけれど、どんな味がするんだろうって毎回期待するのは楽しい。それが結果多少残念だったとしても、それは自分の味覚の癖だし、その癖だって少しずつ変化していくんだろうから。色々試すのが大事。

ただ、外で食べるのが気持ちよいこの季節、歩道に並べられたテーブルで楽しそうに食事をしている友人同士、カップル、家族なんかを見ていると、おそらく美味しさの秘密は誰と食べるか、なのだと思う。

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覚書

どうタイトルをつけていいのかわからないけれど、読まれることを意識した上でのメモというのもありかなと。で、覚書。

インプロヴィセーションを習得することは、言語を習得することと似ている、ということは昔から言われている。言語は単語と文法で構成されていて、言語を習得する際にはそれらの知識が必要で、かつ考えることなく淀みなく自分の意思を表現できて、習得したと言える。インプロヴィセーションも同様で、たとえば、単語に当たるものがフレーズで、文法がコードプログレッション。それらをその場で考えることなく淀みなく表現できてインプロヴィセーションとなる。そのために様々な理論や知識が必要で、それを練習を通して、内面化することを時間をかけて行うわけだ。

果たして、このプロセスが本当に唯一の道なのだろうか?

言葉を発する前には無意識の思考や感情があって、それを言語化して表現することが、会話での一連の流れのはずだ。平たくいえば、話したい内容が浮かばなければ、どんなにボキャブラリーが豊富でも会話は続かない。逆に話したいことがあれば、単語や文法がぶっ壊れていても、なんとか表現することで、相手との会話はなんとなくであれ進行する。

そもそも相手とコネクトすることが重要なのだ。相手と繋がりたいと思う意思の、欲求のエネルギーが根っこにあって、それをどう表現するか、という時にそれがたまたま言語という手法であるか音楽であるかの違いがあるだけの話。要は言語と音楽が似ているのではなくて、そもそもの根っこが一緒で、その表出の仕方は違うのだ。

洗練された言葉や、話し方を身につけて、淀みなく話すことは誰しもが望むかもしれないけれど、本当の自分の表現はそこにはないのだと思う。格好をつけようとして、うまくいかなかった時に初めて見える素の部分が実は人の心に届く、なんてことはいくらでもあるし、思い返せばみんなそうして人を好きになったり近く感じたりするんじゃないか?

音楽もそうで、最先端の理論と複雑なリズムで他を寄せ付けぬ高みを目指すのもいいのだけれど、実はその裏側にあるむき出しの感情が現れる瞬間は、コントロールを失って焦っている時にこそある気がする。やばいと思うことこそ、最高の演奏になりうるのだ。もちろん落ち込むことの方が多いけれど。

少し話が逸れたが、僕らは理論よりもまず、むき出しで音を出すことに慣れた方がいい。音楽は言語と違って何をやっても伝わるものだから。楽器の基礎の手前。音が出る。それが無性に楽しい。それを人が聴きつけて自分に関心を持つ。それが無性に嬉しい。もっと音を出したくなる。もっといろんな音が欲しくなる。人がそれに音を重ねることで予期せぬ音が手に入り、物語が少しずつ始まる。ひとところに留まらない楽しい時間が始まる。理論も技術もまだ顔を出さない、無心に夢中に音を出す時間。

その感覚があってこそ、インプロヴィセーションが可能になるのかなと思う。みんな少し知識と思考が先行しすぎているような気がするな。セッションの時のお作法を指南するガイドブックも出てくるぐらいのこのご時世。自由で滅茶苦茶でいいことを体感することが少なすぎて窮屈だ。枠組みから外れたくてインプロヴィセーションをやってるのに、なんだかまた枠の中にはまったような気がする。表現したい音楽に突然スタイルやお作法みたいなものを強要されて、自分の言いたいことが言えなくなってしまいそうになる気がする。さながら「好きです」は、しかるべき時にきちんとこういう風に言いなさい、と教え込まれ強要されるかのように。

人の出会いの数だけ「好きです」があって、その表現も、言語も、トーンも、表情も、結果も様々。それと同じこと。大事なのは、心の奥底にある、それを伝えたいと思う気持ちと欲求と情熱。

Nのビーチ

写真を載せるわけにはいかないので、文章だけの話になるのだけれど。

バンクーバーのUBC(University of British Columbia)という大学は、自然豊かな森を抜けたバンクーバーの西側の海辺にあり、広大な敷地面積を誇る。その大学の構内を通って再び鬱蒼とした森の中を通る道に出ると、そこは海沿いだ。海沿いといっても、そこはかなり急峻で高さもおそらく100メートルぐらいはありそうな崖の上で、海岸に至るには数百段の階段を降りなければならない。

そんな海岸にはビーチが広がっていて、夏のシーズンには当然海水浴や日光浴を楽しむ人々が訪れる。南国のリゾート地ではない異国の海水浴事情というのもなかなか知る機会がないので、海に囲まれたバンクーバーでビーチに行くのはいいアイデアだと思った。

調べると、レックビーチ(wreck beach)というそのビーチは、ヌーディストビーチとして知られていることがわかった。バンクーバーに数あるビーチの中でもどうやらここだけが全裸OKということらしい。

大学生の時にサークルの演奏旅行の途中、みんなで長野の山奥で素っ裸になって焚き火をして遊んだことのあることをふと思い出したりしながら、バスに揺られて行ってみることにした。

海岸に面していると思われる道路に出る。森の中を通っているので、その先が海なのかどうかはわからないが、ともかく地図上は海岸沿いだ。おびただしい数の車がなぜか間を空けず切れ目なく止まっていて、不思議だった。まさか、この車が全てビーチに行く人々の車なのだろうか、と訝しく思う。

wreck beachの入り口らしきところに着くと、確かにすごい傾斜の斜面に先の見えない階段が続いている。海水浴を終えて上がってくる人々は俯き加減で無言で息を切らしながらゆっくりと階段を登ってくる。

実際に降りてみると10分ぐらいでビーチに出た。西向きのビーチはちょうど夕暮れ時で、陽が傾き海面に光が道のように伸び始めている。波は50cmぐらいの高さで浜辺に穏やかに打ち寄せる。

さて。数百人はいるだろう人々の半分くらいは水着を着ている。つまり残りは着ていないか、トップレスかという感じだ。老若男女特に偏りなく思い思いの時間を過ごしている。たまに通り過ぎる飲み物の売り子の男性も、ぶらんぶらんさせている。目の前の女性二人組はうつ伏せになっているが、何もつけていない。さっきまでTシャツ短パンで丸太に座っていた若い男性が気がついたら一糸纏わぬ姿で海に向かってゆっくり歩いて行ってそのまま海に浸かる。海の水はかなり冷たくて、長時間浸かっていたら唇が紫になるだろうと思うのだが、その海で泳ぎはしゃぐ人もいた。波打ち際から振り返って浜辺を眺める。いろんな形の男性器、いろんな大きさの乳房。水着の女性。バイクのヘルメットを被り後は裸の男性。フリスビーを投げ合う二人。いろんな人に話しかけられるサングラスの男はやはりぶら下げている。そんな光景。それは移民の多い街バンクーバーのダウンタウンの街中の光景と変わらない気がした。

まあ、一度になかなかの数の女性の露わになった胸を見たわけだけれど、特に違和感を感じなかった。それが普通であると思うと、肩や背中を見るのと同じような感覚で胸を見ているような感覚だ。とはいえ、やはり心のどこかで、じっと見てはいけないという意識もあり、恐らくは自分の中の規範意識が少々揺さぶられている気はした。それと同時に、自分のエロスのスイッチが何で入るのかについても改めて理解した。

陽が暮れる前に階段を登り浜辺を後にする。無言で黙々と一段一段登る。振り向くと森の向こうにうっすらと沈む陽の光が見えた。来た時には切れ目なく止まっていた車の列もいつの間にかまばらになった。やはりビーチにやって来た人々の車だったらしい。

僕が裸になったかどうか?それはご想像にお任せする。

明滅する人々

ライブ会場で出会ったカナダ人のベーシストがぼそりと言った。ニューヨークは人が多すぎる。多すぎて孤独になるって。こんなに人に囲まれているのに、誰とも関わらない瞬間が多くて、ひどく孤独を感じるって。

それがいいことなのかよくないことなのか聞くのを忘れてしまったけれど、彼の目は少し寂しそうではあった。今日は君が来るまで楽器に触れていなかったっと言いながら、えらく苦く作ったインスタントコーヒーをふるまってくれる。ミルクを入れるかい?と聞きながらミルクの入っているボトルのキャップを開け、軽く匂いを嗅ぐ。これは大丈夫だと思う…と言いながら、君から試せ、といたずらっぽく笑う。

スペイン出身のあるピアニストは、とにかく喋りまくる。こちらの意見はお構いなし。聞いているかどうかも御構い無し。同意を求めるでもなく、ひたすら自分の喋りたいことを喋り続ける。30分ぐらい付き合って、こちらがうんざりして、じゃあね、と背を向けてもその背中に喋りかけるのには幾分辟易とした。

ブルックリン在住のあるドラマーは喋り方がものすごくとろんとしていて、果たして次に会った時に自身の言ったことを覚えているのか怪しいな、と思わせられる。ただ僕の顔は覚えているのはありがたい。毎回会うたびに、お前はニューヨークとっくに住んでいると思ってた、と言う。今回はそれに加えて、俺たちは一緒に演奏するべきだ。プライベートじゃないぜ、ちゃんとしたGigだぜ、と言った。

それ、頼むから覚えていてくれないか?

コロンビア出身でアルゼンチンに今は住んでいるピアニストは、しょっちゅうNYにやって来る。そうなんだ、いいね、と話していたら、ワタシの彼、〇〇なのって嬉しそうに言う。ワーオ!あの人が彼氏なの?そう、この人の彼氏はNYでもとびっきりのimproviserで、僕もよく知っている。

あるベーシストに誘われて、プライベートセッションをやることになった。その前にみんなで昼ご飯を食べようとジャークチキンをテイクアウトで買いに出かけ、戻って5人でテーブルを囲む。ビールを飲み、そのベーシストが、譜面がろくすっぽ読めないのに、学生ビッグバンドの選抜メンバーに選ばれて焦りまくった時の話を聞く。

楽器のケースを開けるとおもむろにヨークシャテリアが僕の楽器掃除用の布を、おもちゃだと思い咥えて持ち出す。何回取り返しても、つぶらな目でこちらを見上げて訴える。それがほしいなあ。

セッションの途中でネジが緩んでシンバルが床に大音量とともに落っこちて、床でくつろいでいた犬達が一瞬で消える。

ご飯に、ビールに、楽しい演奏。最高だね。バークリーで教鞭を執るギタリストがつぶやきみんな同意する。

玄関先で、交差点で、今日はありがとう。また一緒に演奏しようね、とハグとともにそれぞれの方向へ歩みさる。地下鉄の構内へ、横断歩道の向こうのバス停へ、歩いて家へ。

色々な人々が目の前に現れ明滅してまた消える。こうして出会った人々は僕の心な中に住まう。願わくは彼らの心の中に僕が住んでいることを。

ラッキーボーイ

「北田さんはラッキーボーイだよ」

そんな風に言われた。”ボーイ”と言われるには年はなかなかだが、まあ心はいわゆる「夢見がちな中二」のまんまだから、甘んじて受けよう。

ともかく、何年もNYに住んでいてもなかなかライブをすることは難しいし、しかも多忙な売れっ子のミュージシャンとやったりするなんて。ということらしい。それは確かにそうだな。僕はこの5年間でたかだか5回来ただけで、しかも最長でひと月の滞在。それでTim Berneと演奏することもできたし、今回もたった一回とは言え、James Carneyがお膳立てしてくれて、Chris Lightcap, Mark Ferberといったベテランのミュージシャンと演奏することができた。

それがどれだけ難しいことなのかは実はよくわかっていなくて、ただ単純に、気が合って、ライブができそうだからやってみないか?と何も考えずに持ちかけただけの話。正直にいってギャラなんてこちらから出せるはずもなく、逆に向こうからギャラが出るとも思わず。そんな話すらしなかった。ただ単純に一緒に演奏したい、ということだけで話しただけ。向こうもいいよ、やろうぜ、といってブッキングしてくれた。それ以上の交渉ごとは一切なし。

もちろん、そんなメールが打てるようになる前に、自分なりの手順は踏んだつもりだ。例えばTim Berneとライブをやるまでには、ワークショップに3回参加して、プライベートレッスンという形式ではあれ一緒に音を合わせるという過程を経たのは確かだ。しかも毎年途切れなく現れる優秀なミュージシャンの中で記憶に残る人間であらねばならない。いきなり、「あなたのファンですから、NYにいったら演奏してくれますか?」…ありえない。その前にちゃんと顔を突き合わせて、その時の自分の最大限のこちらの熱量と、感性と、畏れと、野心みたいなものを見せるのが必須であるのは当然だ。

そういった、”あざとい”戦略があって功を奏した面はある。NYで演奏する、というのはもともと目標としていた過程の一つではあるのだから、そういう意味では世の中の人がいう”自己実現”はできているのかも。

とは言え、NYで演奏する人間なんていくらでもいるし、僕よりもはるかに上で活躍している人ですら、掃いて捨てるほどいる。そういう意味で、僕のこの活動は未だに「ラッキー」でしかないのも確かだな、と「ラッキーボーイ」と言われて思った。悪いことじゃない。でも僕はまだ日本から年一回ふらっとやってくる「good clarinet player」で、お客さん扱いなのだと思っている。これを三回、四回…と重ねていくことが「ラッキー」から抜け出して実力で勝ち取った結果とすることの唯一の方法であるのは確かだ。

正直いって、もう少し効率のいいやり方があるのではないかと思うし、見つけたいとは思うのだが…