WII4U#03 Bea Labikova -sax(Toronto)

“What is improvisation for you?”

“For me, improvisation is a process that is playful, unpredictable, and immensely significant. It means being present, raw and true and most importantly connected with people around me. In music and my every day life, improvisation inspires in me an appreciation of the world as a state of wonder that is adventurous, joyful, and free flowing.” -Bea Labikova

「私にとってimprovisationは、遊び心に溢れて、予期せぬ出来事の連なりで、そして計り知れないほど重要なものです。その意味するところは、この瞬間に在ること、むき出しでいること、そして真であること。そして最も重要なことは私を取り囲む人々と繋がっていること。improvisationは、音楽においてはもちろん日々の生活において、冒険と喜びと自由で在ることが驚くべきことで、そんな世界に感謝の気持ちを抱くことを深く思い起こさせてくれるのです。」

Bea’s website
http://www.bealabikova.com/

Bea Labikova photo

M’s quintetのメンバーとして共演したBea。

初めてBeaにあったのは彼女の住まい。Alexに誘われてjammingをしに行った時のこと。家に着いてBeaが最初にしたことはコーヒーを用意すること。そしておしゃべり。クッキー。ちょっぴりアルコール…昼の12:30に着いてJamをスタートしたのが14:00過ぎ。15:00には家を出なければならないというのに、こののんびり具合。それを心地よく感じるのがBeaの優れた特質の一つだ。saxの音は柔らかく、improvisationのアイディアを数多くもち、好奇心に満ちて、柔軟で、色々なことを試すのを恐れない。メインストリームのsaxプレーヤーにはない音色のパレットを持っているとても優れたimproiviserだ。

WII4U#02 Lina Allemano -trumpet (Toronto)

What is improvisation for you?

“Improvisation for me is spontaneous composition involving high-level, sensitive interaction between musicians to achieve a common musical goal, and a deep level of personal/emotional self-expression.” -Lina Allemano

「私にとっての即興演奏は、自分の中に自然に沸き起こる作曲です。それは共通の音楽的なゴールと心のとても深い所にある個人的/感情的な自己表現に達するために、音楽家達の間で取り交わされる高次元の繊細な相互作用を伴っているのです。」

www.linaallemano.com
www.linaallemano.bandcamp.com

lina-allemano
Photo of Lina Allemano by Cristina Marx

 

7/10のライブで一緒に演奏したメンバーの一人がトランペットのLina Allemano。トロントに到着して初めて観に行ったライブでオーネット・コールマンのロンリーウーマンをやっているのを観て、いいプレーヤーだなあと思った人だ。それ以降も自身のバンドTitanium Riotのライブを見る機会もあり、今回の共演をとても楽しみにしていた。

誰とでも演奏できるのがimprovisorを心得た音楽家のいいところだと思うし、そうありたいと自分で思っている。とはいえ人である以上は、音から何か感ずることは大いにあり、この人と一緒に演奏したい、と思う音楽家は確実に存在する。僕は誰とでもできると思っている。とはいえ時間をかけて向き合っていきたいと思う音楽を感じさせてくれる特別な人は確かに存在する。今までやってきたプロジェクト、ユニットで演奏した音楽家はもちろんそうだし、ライブはまだしていないけれど準備をしているユニットの音楽家も。

まあ、平たくいえば、この人とまたやりたい!って思う人だ。

Linaはそんな人の一人だ。素晴らしい音楽家。

音をだすまでの道のり

少し前に比較的若い音楽学校の学生数名が混じった即興のjamでのこと。

自分が昔感じたことを目の当たりにして、少し感慨深くなった。

僕にとって即興演奏はそのもの自由だし、何をやってもいいわけだから、音なんて簡単に出せる、とりあえずやって仕舞えばそこに発見があるに違いないのだ。そう思ってきたしこれからもそう思っている。

さて。隣のトランペットの子は髪を指でいじりながら、ずっと吹かないでいる。そういうのもありだから、しばらく気にしていなかったが、いつまでたっても髪をいじっている。たまに吹くが、すぐ止める。また髪をいじる。

どうしていいか分からなくなっているわけだ。これには色々な側面がある。何が起きているかわからない、自分で思う間違ったことをしたくない、人にどう思われているか不安だ、意味のある事をやっているように思えない、などなど…

それを髪をいじる指に感じる。その戸惑いと困惑を超えて音を出す事が全ての始まりで、そこに至るまでに色々なものから解放されて行く過程があることも。ある人は一瞬で飛び越え、ある人は何年もかかり。

自分もいつかの時点でそうだった。何度も超えてきた。それを思い出して、少しはマシな即興演奏ができるようになったかなと感じたわけだ。また再び超えなきゃならない自分が目の前にいるけれど。

髪をいじる子は最後までいじり続け、少しだけ吹いた。髪をいじるのを止めることから始めたらどうか、と言いかけてやめた。僕も未だに心の中で髪をいじっているに違いないもの。演奏する事で伝えきれなかったのは、僕の今の技量の限界点だとも。

街歩き雑感

海外で気になることの一つは、治安だろう。トロントの治安はどうなのか。

一言で言うなら、全く問題なし。少なくとも中心部は。交通手段に地下鉄を使うけれど、夜中12時過ぎに乗って不安なことは一切なし。

街中でコインの施しを得ようと座り込んでいる連中は良く見かけるし、独り言をぶつぶつ言って徘徊しているのもたまに出くわすけれど、特に危険な感じはしない。

夜中1時過ぎにライブを観た帰りに、ケンジントンマーケットという、夜中になると比較的「spicy」(Alex曰く)になる地区を通って帰ったけれど、確かにバーの前にたむろしている若者はそれなりにいるけれど、比較的慎ましい印象だった。

カフェでも、隣に座ったおばさんが、ちょっとタバコ吸いに行ってくるから、パソコン見ててくれない?なんて言ってきたりする。

歩行者も信号が青になるまで待つし(ニューヨークは車が無ければ、赤でもお構いなしに渡る)、車も渡る歩行者を見かけたら、スローダウンする。クラクションの音がやかましく鳴り響く街では無い。

もちろん、危険な所に敢えて行くつもりもないし、出くわさないに越したことはなく、気をつけておくのは当然ではあるのだが。

Tone Festival

Tone festival という、即興演奏のイベントが今トロントでは行われている。オーガナイズは数名の有志によっている。ビジネスとしてのイベントではなく、音楽を絶やさないようにして、ただでさえ孤立してしまいがちなミュージシャンとオーディエンスを結びつける目的だ。即興演奏家は孤独だ。まあ、誰しも孤独であるには違いないのだが…だからお互い惹きつけあうのだろう。

ライブは毎日開催というわけではなく、週に1、2回いくつかの会場を使って、ピックアップされた3、4グループが演奏する。

会場はバーだったり、古い倉庫を改装したイベントスペースだったり様々。

こういった古い倉庫が会場の一つ。

この会場では3バンドが演奏したが、最初のバンドが爆音だった。エレキギター、エレキベース、サックス、ドラムのカルテットだったが、サウンドチェックの時点でヤバイと思って会場の一番後ろに逃げたけれど、それでもだめ。

耳に指を突っ込んで、なんとか耐えて、2バンド目。こちらは、エレクトリックハープ、ヴォイス、エレキギターのトリオで、こちらは静かに演奏が進み、音数も少なく、柔らかい時間を過ごせた。

最後のバンドはドラムとギターのデュオだったのだけれど、これが凄かった。

ドラムがアップテンポの4ビートのリズムをシンバルて静かに刻みだす。ギターはある特定のおと一音のみを間を空けて弾き、それをエフェクターを通して様々に変化させる。それだけを45分やった。

その間に演奏のボリュームが徐々に上がっていく。時間をかけて。本当に少しずつ。気がついたら音ではなくて振動が身体を震わす様な状態になっていた。恐らく最初のバンドと同じ音量に至っているはずだ。でも、少しも辛くない。むしろ心地よく身体がビリビリと震えるままに、空気と音と床とが混ざっていく感じ。

それを45分という時間のなかで集中を絶やさず作り上げるのはなかなか出来ない事だ。普通なら途中で我慢しきれなくなるか、惰性になるか…長尺の演奏で大きな展開や変化をつけずひたすらクライマックスまで徐々に持って行くのは大変だ。聴く側にもそれは当然当てはまるのだけれど、みんな彼らの作り出す時間と空間に吸い込まれていった。

良いひと時だった。

RITUAL

カフェやテイクアウトのフードスタンドの受け取りカウンターに、”RITUAL”という水色のボードをしばしば見かけた。

受け取りの事をritualと呼ぶのか、そういう意味もritualにはあるのか、と怪訝に思っていた。

ちなみにritualは儀式とか日常の習慣的に繰り返される行為の意味がある。

受け取りカウンターと儀式が、意味としてどうリンクするのか分からなかったけれど、まあ日常的に繰り返される光景と言う意味ではritualなのか、という風に自分で勝手に納得させていたが、何回も目にしたある時、やっぱり変だと思って、オンライン辞書で調べてみた。

無いのだ。

英和辞典のいくつかを当たっても、受け取りのような意味はない。英英辞典も同じ。

不思議に思ってritualだけで検索してみた。するとTorontoにあるオンラインプレオーダーサービスのページが出てきた。加盟店はritualのサイトを通してオンライン注文を受け付けらる。お客さんは店舗で待たずに商品をピックアップできるという仕組みだ。自前でウェブサイトや決済システムを用意しなくていいから、一店舗だけの小さなコーヒースタンドでも簡単にプレオーダーサービスを提供できる。ウーバーイーツとか出前館みたいなシステムかな。

どうやらritualの表示はこれのことらしい。トロントのローカルで成長しているカンパニーのようだ。撮った写真をよくよく見ると、ちゃんとritualのサイトの表示もある。

疑問に思ったらちゃんと調べてみよう、というお話。

カフェという空間

カフェに入って思うのだけれど、店内の広さに対する席の数が少ないと感じるところが多い。こんなにだだっ広くていいの?と思う所もある。

でも、いろんな所に行って気がついたことがある。混んでないことでリラックス出来ていいって。

当たり前だけど、改めて考えてみた。

カフェが、ただコーヒーを飲んで一息いれる以上の空間になる為の快適な席数っていうのがあるのだろう。乾きを癒す、あるいは疲れた足を休める、という事以上の。

例えば、考えごとをするにも、物を書くにも、静かすぎず、かといって慌ただしい感じのない空間というのは、案外思いつかないものだ。その空間感覚を備えてデザイン出来ているカフェが、足を運びたくなるカフェということなのだろうか。

レストランとも、バーとも違う。広い空間に点在する思い思いのひと時。その配置がうまくいく事でカフェの質が上がるのだ。

もちろんカフェに限った話ではないけれど。なかでも差を付けるのが難しいのがカフェかもしれない。同じエスプレッソを飲むならどういう風に飲みたいか。どんな時間を自分に与えたいのか。多分訪れる人はそんな事気にしないだろうけれど、そんな無意識に求めてている感覚を、すっとすくい上げるカフェ。

人はカフェでなにを満たしたいのか。そんなことをぼんやりとカフェで考えた。

1cent硬貨はどこに?

通貨の単位は当然、国毎に様々。USドル、タイバーツ、イギリスポンド…そしてカナダなら、カナダドル。

最近のレートは1ドル約85円。だから、表記してある値段に90円をかければ日本の金銭感覚に近くなる。

ちなみに、カフェのアメリカーノやエスプレッソの2ショットは、3.2〜3.5ドル。300円前後。

さて、カナダはカード払いが日本より浸透した国で、トロントならほとんどの店舗でカード支払いを受け付けてくれる。場合によってはデビットカードか現金のみの店もあるけれど。

だから、現金はあまり用意する必要が無い。投げ銭のライブ用に使うか、カードNGの店舗用にあればいい。

さて、ある時、1.22ドルの支払いに現金を使った。1ドル硬貨と、10セント硬貨3枚を出す。すると、10セント硬貨を一枚返された。1.2ドルでいいらしい。

或いは7.99の表記は8ドルの支払いになったりする。でそんな事を通して、ふと思った。1セントは流通していないのでは?

手元にある現金はたしかに5,10,20ドル札と5,10,25セント硬貨に1,2ドル硬貨。聞くところによると、1セント硬貨は以前はあったけれど今はほとんど流通しないらしい。とにかく細かい硬貨らしく、使うのが不便だったり洗濯機にうっかり紛れ混んで、洗濯機が壊れるなんて事もあったとか。そのほかにも色々な理由で(ここは知らない単語がいっぱいで残念ながら分からず仕舞い…恐らくは何らかのpoliticsが絡んでいるらしい)で、1セント単位は基本的にはキリのいい数字に支払い時にしてしまうらしい。

1セントがどのくらい細かいか、わからないけれど、10セントは僕の親指の爪に収まるくらいだから、さぞかし小さいんだろうと思う。