WII4U? #01 Alex Fournier – Bass

What is improvisation for you?
という質問を、出会ったimproviserにしてみようと思った。タフで簡単には答えられない質問だけど。この音楽のことをみんなに知ってもらうために、何ができるんだろう。僕の言葉だけではなく彼らの言葉も伝えたいと思った。

一人目に選んだのはAlex Fournier ベーシスト。僕のステイを全部引き受けてくれた恩人で友人だ。
http://www.alexfournierplaysbass.com/
質問したら、すごく真剣な顔になり、様々なことを語り出した。その全てを僕がちゃんと理解できないのが悔しいが、地下鉄の中で一生懸命タイプしてもらった言葉が、彼の答えだ。

Art in general is a person’s one way to make themselves perfectly understood by their own standards. Since language is limited in doing that, art allows people to see into one’s mind nearly perfectly. It bridges that gap of loneliness that we all experience being trapped in our own head.

Improvisation is the joy of doing all that without editing or worrying about what you’re going to say/represent. You get your release from “shooting at the hip.” – Alex Fournier

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楽器を担いで”Hopping Countries”

僕は語学が苦手だ。父親はどこかの大学のロシア語学科を首席かなんかで卒業し、兄は中学に上がる前から英語に興味を示し、高校生ぐらいの頃にはエスペラント語に触発されて自分の言葉を開発したほどに語学に才がある。

一方で僕は中学の最初の英語のテストでMy name isレベルの設問にすら、ろくすっぽ回答ができず、きっちりと語学の才の無さを露呈し、父親に激怒された。その理不尽さに逆上し家の壁をかかとで蹴り上げ、穴をあけたのを未だに覚えている。

そんなこんなで僕は英語が嫌いだ。いや、英語の勉強が、と言っておこうか。文法しかり教科書の英語しかり。

音楽はその頃から好きで、クラリネットを始めたのもその頃。種々雑多な音楽を聴く中で僕の中に浮かんだのは、どんな国の人が演奏しても音楽は音楽そのもので、楽しいものなんだな、ということ。歌詞のある音楽ですら、言葉を理解する必要がなくても何か伝わり感じ入るものがあった。中には楽しいというよりはむしろ難解と感じるものもあったが。今となっては、その頃は難解だと思った音楽、即興音楽、に惹きつけられていったのだから、何かは伝わっていたのに違いない。

中学三年の時に、ひょんなことがきっかけで青少年オーケストラに所属し、たまたまその年の夏休みに、そのオーケストラがフランスの各所をツアーすることになった。ありがたいことにそれに参加することができて、初めての海外旅行をした。まだ直行便はなく、アラスカのアンカレッジを経由して北極海を越えフランクフルトでトランジット。エールフランスでシャルルドゴールに入り、国内線のオルリー空港へ移動して南仏トゥールーズへ。そこが最初の公演の場所だった。

街の人々はオーケストラを迎え入れてくれ、演奏に喝采を送り、僕らも旅を存分に楽しんだ。

そんなことを通して、楽器を担いでいろんな国を周ったら面白いな、ということを漠然と心に抱くようになる。

でも、どうやったらいいんだろう?そんなことも同時に。その当時は音大に入って海外に留学できたらいいな、とも思っていた。でも、それは結局のところ叶わないことになる。

そんな中で、即興音楽というものに惹かれるようになった。自由かつ言葉の壁を越えるもの。クラシックのお行儀やお作法もなく、ジャズの小難しい理論もなく、表したい事を楽器を通して音に委ねる。自由に。思いつくがままに。全てを受け入れ、美しく謎に満ちて、心を揺さぶり、一瞬の空気の振動ですら、輝くように打ち震える。僕が思い描いた音楽のあるべき姿がそこにあった。これならば。できる。

風にたなびき波打つ模様を次から次へと描く麦畑の真ん中のあぜ道を、楽器を担いで歩く。時には砂埃の舞う小さな村のこじんまりとした石造りの小屋で演奏する。街から街へ、道を伝い、人を伝い、音楽に導かれて。

言葉が苦手で、未だに英語での日常的な会話ぐらいしかできないが、自分には即興演奏という技術と才能がある。僕は優秀な即興演奏家だ。そしてさらなる高みへの欲望と野望をむき出しにするほどに未熟でもある。それを生かさない手はない。

楽器を担いで出かけるチャンスは今までにもあったのかもしれないが、今だからこそ持ち合わせる感覚、視点、経験、思慮、あるいは今だからこその無謀。それこそが’思い立ったが吉日’なのだろう。

名付けて”Hopping Countries”。国から国へ。街から街へ。

出発を前にして、用意する譜面、送られてきた譜面、あるいは一体何をしにいくのだろうと、漠然と不安になったり、期待に満ちたり、あるいは、きっと常に感じる寂しさや募る想いにどう向き合えば良いか分からず、途方にくれて見たり。

いずれにせよ、もう片道切符は買ったのだし、まだ見ぬ土地と、そこで響く音楽が答えをもたらしてくれるに違いないのだ。

出発まであとわずか。

Be a “Hopping Countries” supporter!
登録者限定の音源やブログ配信などをぜひどうぞ!詳細は下記アドレスで。
https://manabukitada.bandcamp.com/hopping-countries

手放す

思い出。

これはいったいなんなのだろうか、と考える。数年前のことを手繰り寄せようとしてみたり、20年以上前のことを忘れようとしたくて、未だにうなされてみたり。それは必要なのか、必要でないのか。意味がある事なのか、ないのか。

もし仮に自分が過去を思い出せないとしたら、それは何を意味するのだろう。今この瞬間とこれから起こる未来をただ待ち受ける。その連続。でも実際にはそんなことを想像することは不可能だ。過去が自分の周りを巡っているのだから。

最近思い切ったことをした。楽譜の山を手放した。中学ぐらいの頃にやっていたクラシックのエチュードやスケール。あるいは、ほとんどやらなくなったジャズスタンダーのリフ帳。自分が必死で取ったジャズプレーヤーのアドリブコピー。これらはダンボールの箱の中で眠っていて、ここ数年全く手に取ることのなくなっていたものだ。

これを捨てるということはどういうことなのかわからなかったが、ふと、処分してみようと思った。それぞれの譜面を手に取るとその頃のことが思い出される。ディスクマンなんていう今あるのかどうかも怪しいCDプレイヤーを、壊れるまで使い倒して音採りをした記憶や、セミの鳴き声を聞きながら、一オクターブの四分音符のスケールを戸惑いながらやった記憶。この曲を吹けるようになりたいと思って、買ったはいいものの未だに吹けない現代音楽の譜面。その光景の裏側で、響く笑い声、おしゃべり。ダイヤル式の電話。窓の外が枯れ枝ばかりの灰色の曇り空から、青く高く深く濃く澄んだ空と、それを反射して輝く緑の生い茂る斜面に変わる様。真夜中の怒声と叫び声、仰向けに眠ることの恐怖、壁に開けた穴…懐かしいと思う。思い出すことで心が痛み、そしてそこから自分が遠くまで来てしまったことにうろたえる。こうした感覚になることが思い出なのだとしたら、それは一体僕のなんなのだろう。皮膚や、指のように体の一部であるのか。これがあることが、ないことよりも良いことなのかわからない。

思い出のきっかけになるものを手に取らなければ、それは別に思い出されなかったに違いないのだ。

もしかしたら数年後にふと、捨てなければよかった、と思うかもしれないが。

とはいえ、手にとってその思い出に浸り、その気持ちをずっと留めておきたいというものも、もちろんある。過去に起こったことのはずなのに、それと同時にこの瞬間にすぐ隣で息づいているように感じるものでもある。

もし必要な思い出があるとしたら、それはきっと過去との隔たりを感じるものではなくて、あたかも、今この場でその瞬間を生きているように感じられるものであるに違いない。郷愁よりはむしろ、それを再び求めたいという欲望を呼び覚ますものに違いない。

目が覚めた後

「北田さ〜ん、キタダさん、終わりましたよ〜」
麻酔がかかってからすぐだった。やたらと話しかけられる。自分は何をしているんだっけ。ああ、マスクをしている人がいるなあ。仰向けだ。目が回る。どうやら病室に運ばれるらしい。終わったってことか。気持ち悪い。吐きそうだ。やめてくれ、ストレッチャーを転回すると余計に胃が迫り上がる…

実際に内容物のない嘔吐を2回ほどやった後、ストレチャーからベッドに移されて、自分の病室へ。8人部屋で、各々がカーテンで仕切られている、ベッドとテーブルと引き出し付きのパソコンデスクが入ったら満杯な、何もない退屈な空間。壁にはコンセントや酸素供給口や読書灯が配置されている。カーテンは薄緑色で、隣は全く見えないが、上部は網状になっていて少し背伸びをすれば中が覗けるようになっている。その狭い部屋に横たわる頃には、吐き気はいったん治まった。

3時間の予定が4時間に少し伸びた、でも手術はうまくいった、なんていう執刀医の言葉を耳の中で拾いながら、でもそれよりも、今度は左肩がじんじんと痛むのが気になっってしょうがない。以前親知らずを抜いた直後に麻酔が切れた時間帯を経験したが、あの痛みに近い。ただ、耐えられないほどの痛みではないので、耐えるしかないのだが、それがずうっと続く。仕方ない。まだ18:00。術後すぐだからそりゃあ痛むさ。とは思ったものの、痛み止めがどの程度これを緩和してくれるのか不安になりながら、うつらうつらとする。麻酔の名残か、痛み止めのせいか、眠ったような眠らないような時間が続く。やがて部屋の灯が消え、今の時刻が21:00だということを知る。痛みは変わらず続き、それに加えて、ジワリと尿意も。これは困った。いよいよ尿瓶というやつなのか、と思う。

寝ながらおしっこをするなんて、子供の頃のおねしょ以来の行為なのだが、子供の頃と違い自意識がある今の自分にこの背徳感を打ち破ることができるのか…痛みに耐えつつそんなことを妙に真剣に考える。そうこうするうちに頭の中はそのことばかり。膀胱じゃなくて頭の中がおしっこでいっぱいになって、たまらずナースコールを押し尿瓶を受け取った。尿瓶は足の間でひんやりとする。やれやれと思いながら、さてと。

これが出ないんだな。

何度トライしても、心のブレーキがしっかりと栓をして、僕にそんなハシタナイことをやってはならぬと告げる。くだらない羞恥心がこんなところで自分に牙をむくとは思いもしなかった。プライドが高いのか?俺は?とも思う。なんのプライドかよくわからないが…

そんなことを何度かしていたら、看護師さんが見かねて、車椅子に乗れたらお手洗いまで行ってみてもいいですよ、と助け舟を出してくれた。それができるのならやってみようと思ったのだが。

これがまためんどくさい。点滴と酸素マスクと、心電モニターがくっついているので、それを車椅子に移し替える作業。そして、痛み止めで朦朧となっている自分をそこに持っていかなければいけない作業。10分ぐらいかけて、車椅子に腰掛けた途端、今度は強烈な吐き気に襲われる。治りそうもないので、もう一度ベッドに戻り、しばし横になる。そうはいっても大量の点滴による尿意は、いつかは決壊するだろうから、どこかで吐いてでもやらなきゃならない。仕方なく、ベッド上で上半身をゆっくり起し、体が重力に対して縦になることに慣れるのを待ってから、車椅子に移動することにした。

2度目はなんとか吐き気もなく車椅子に乗れたが、運ばれる間に何度も嫌な予感がやってくる。そうこうしているうちにトイレについた。立ってやりますか?それとも座ってやりますか?と聞かれたので、少し考え立ってやることにした。フラフラと立ち上がり、計量カップを手にとって、まつ。体力がないせいか、体の筋肉が動かないせいか、数分しても出そうにない。ただ、感覚はもう離陸せざるを得ない最終ラインを過ぎているのはわかっているので、さらに待つこと数分。

その時はついに訪れた。本流というには程遠い、小川のような流れだけれど、時間をかけて。それはしっかりと点滴で蓄えられた水分を循環させた後にふさわしい量だった。

ホッとして再び吐き気を抑えベッドまで戻り、点滴を戻し、酸素マスクを切り替え、首から下げたモニターを外し、ベッドに横になる。おそらく20分以上はかかったに違いないが、ようやく少し眠れた。

ところが、である。この尿意というやつが一晩中続くのだ。朝6時の起床時間までに4、5回行ったと思う。ほぼ眠った気がしない。その後も数回。吐き気は続くし、痛みも依然として治らない。朝食は数口食べた程度。午前中にレントゲンを撮りに移動したときに、わずかに入ったその朝食をしっかり病院のフロアにぶちまけ、悲惨な気分になった。昼頃までこんな調子だった。ただ、痛みがだいぶ治まってきたのはわずかながらの希望だった。昼食を食べるのを断念して、ぐったりしていた頃に、主治医の先生が状況を見に来て、どうやら痛み止めの点滴が吐き気の副作用をもたらしているのでは、ということで、痛み止めの点滴を外すことにする。

そこから1時間ほどした頃から、少しずつ気分が軽くなってくるのがわかった。体を起こすことも辛くなくなったし、少し動けそうな気がして来た。そうしているうちに1回目のリハビリの時間が来たが、今度は車椅子で移動している間も吐き気もなく、傷の痛みも治り、回復していることを実感した。

とはいえ頭の横に500mlの点滴がぶら下がっているので、リハビリが終わる頃にはまたトイレに行きたくてしかたなくなっていた。ただ、調子の良さそうな僕を見て看護師さんが、自分で歩いて見ますか?と行ってくれたので、やってみることにする。点滴を吊り下げるキャリーを手で押しながら看護師に付き添われて、トイレまで。なかなか調子が良い。あっさりと用を足す僕を見て、看護師さんが、もう一人で歩き回っていいですよ、と声をかけてくれた。体と心がくっついた感じだった。

部屋にいそいそと戻り、財布と電話を手にし、自販機コーナーまでいく。とにかく、喉が渇いていたし、メールもしたかったから、こんな些細なことでも自分でできるようになることが嬉しかった。

リプトンのレモンティーをなんとなく買う。その冷たい感覚を喉に感じながらホッとっする。30時間ぶりのしっかりとした飲み物。ありがたかった。

消灯後

小型のモーターを内蔵した機器から断続的に微かに鳴り続ける、ヘアドライヤーのような音を背景に、呼吸を補助するための機械が発する、溜息にも寝息にも似た音が僕の右から聞こえる。何かのクリック音。左からは寝返りを打つ時の布団の擦れる音。廊下の奥から微かに聞こえるナースコールはサイレン音で、それに続いて看護師の歩く足音も。

弱りきって眠る人の気配は、こうして聞こえる音の向こう側にうずくまるようにあって、僕もその一部なのかと思うと、少し滅入る。

何もすることがなく、動きを制限されてしまうと、少しは妄想が自分を連れて出してくれるのでは、と思ったが、見上げて見える天井の染みは染みのままで、物語を紡ぐことはなかった。

誰かが寝言で言葉にならない叫びをあげ、また寝静まる。

妄想は立ち上らないが、いろいろな”もし”は頭に浮かんでは消える。この怪我は幸運だったのか、そうでもないのか…

一番嫌なのは、指を損傷してしまう事だな、と想像する。他にさして出来る事もなく、それなりな年齢に足を突っ込んだ人間に残った選択肢がこのご時世にあるとは思えない。それなら一気に首の骨でも折って一発でおさらばした方が、よっぽどましだと思ったりもする。

そういう意味では回復すればほぼ元どおりなのは幸運なのだろう。まだなんとかなりそうだから。

でも、横たわって頭の中に音像を結ぼうとすればすれほど、周りからひたひたと迫ってくる静かな音が耳につき、ひたすら天井を眺めて夜が更けるのをじっと耐えている自分しか見出せない。

僕は病院の音は嫌いらしい。

引き出し

「色々な引き出しを持っているように感じます」

演奏後にそんな風に言われることがあり、そんなものかなと幾分怪訝に思いながらも、その意図することを自分の中で理解しようとする。それなりに音楽の中で様々な面を見せることができたのだろうか、と思う。むしろ困惑することもある。僕という人間の奥行きについて自分で考えたときに、それほど深いところまで廊下が続いているようには思えないのだ。その道を追求する人々に比べたら、自分の心の奥底に積もっている物事の厚みなんか、指先に薄くこびりつく程度の埃じゃないかとも。

一方で何も考えずに、つまりは無意識のうちに、色彩を変え物語を紡ぎ、幻想やら悪夢やら狂気やらを現出することができるようになっているのかもしれないと思い、そうだとすれば30年ほどの積み重ねの結果であるのかもしれない。

「どうやってその引き出しを作り上げたのですか?」

引き出しの話をしながら頭の片隅に浮かび上がるそれを見ている。赤茶色の木目が美しい、がっしりとした肩ぐらいまでの高さの引き出し。引き出しの数は二列十段。細かな鱗模様がほどこされた小さな鉄の取手が付いている。取っ手を指で摘んで軽く引くと、引き出しはなめらかに滑り出す。その頑丈な見た目とはうらはらに。

それが暗い畳の部屋の真ん中に無造作、無思慮に置かれて、僕はそれを引いては戻しを繰り返す。戻すたびに空気の抜ける音が“フンッ”と聴こえる。

中身は空っぽで、外観とは裏腹に白くまっさらな仕上がりの木目が僕をあざ笑うかのようだ。

何も入っていないのだ…

「引き出しはあるとは思います。でも、あまり引き出しの開け閉めを意識したことはありません…」

いずれにせよわかっているのは、僕にはいつも自分のやったことに関する手がかりが自分自身で掴みとれていない、ということだ。

solo後記

Bar Subterraneansでのsolo works vol.01から数日。その間に一つ転がり込んで来たsoloをやり、頭の中は次に向かい始める。その前にちょっとだけ自分に釘を刺しておこうかなと。

まあ概ね初回としては良かったんじゃないかとは思う。ただ、演奏の内容に関しては、録音したものを聞き返して、大きな改善点を見つけた。特にsoloでやるときに一番難しいかな、と思っていた要素で、今回は、はっきりと悪いところが出てしまったのだが。

それは何かというと、間の使い方。自分の舞台裏をさらけ出すのはどうかとは思うが、単音楽器のsoloという、はっきり言ってとっつきにくい音楽に少しでも興味を持ってもらえるのなら、これぐらいは構わないだろう。

ともかく、間が”悪い”のが気になる。昔からわかっていた悪癖ではあるのだが。のべつまくなしに音を垂れ流しすぎる。音が多すぎる。無駄な音がものすごく目立つ。何なら全部無駄になるぐらいの勢いだ。特に曲をやるときにその傾向が強い。何かしら説明しようとするんだろう。説明過多といってもいい。不必要なアルペジオやスケールの連続みたいなのが連続する。それがまあ、鬱陶しい。soloだから、なおさら不安になっているんだろう。曲がわかってもらえるかどうかについてあれこれ画策した結果が、無意識のうちに焦りと緊張を生み出している感じ。必要のない音をちゃんと刈り取っていく作業が必要で、その過程でより意味のある音を配置していくことも感覚の中に練りこんで行かなきゃならない。

楽器の技術とかその辺は、特にうまくやれるわけでもないので、もう半分諦めて長い目で見ているのだが、間に関してはいくらでも伸びしろがあると思うし、可能性を感じる部分ではある。soloだからこそ、”何をやらなくていいのか”を明確にするのが重要だと思った。

とはいえ、何も考えずにめちゃくちゃやるのも好きなので、その辺が次回にどうブレンドされるのかは、今のうちからまた少しずつ考えていこうと思う。

じゃあ、逆に良かった点は何だ?お客さんが最後まで聴いてくれてアンコールももらったってことかな。聴いてもらいたい曲がやれたってこと。やることそれ自体に価値があるってこと。終わった後のお酒が美味しかったこと。

 

フィヨルド

たまには、愛猫の話でも。

ペットショップ。今ではあまり手放しで喜べない場所になってしまったが、4年ぐらい前は訪れるのが好きな場所だった。子犬とか子猫とかがコロコロ走り回ったり、寝ていたりする。そういうのを眺めるのは存外好きで、まあ普通に目を細めて眺めていたものだ。

そんなある日、ふと目に入ったのがふわふわの薄いブルーグレーの子猫。淡い色合いにピンク色の鼻。大きな瞳の中のまん丸な黒目。ノルウェージャンフォレストキャットという種類の猫だった。それまで僕の中で猫の品種にあまり深い関心はなかったのだが、その子を見て以来ノルウェージャンを飼いたいという気持ちがふつふつと湧き上がってきた。

ふわふわの子猫。手のひらに乗るぐらい小さい。

色々調べていくと、世の中には専門のブリーダーというのがいて、品種に特化して繁殖を行うということが一般的だと知るようになる。そう言ったブリーダーはいわばある特定の品種を維持保存していくということと、世の中にその品種を伝えていくといったことを目的としてやっている場合が多いようだが、中には当然人気品種の繁殖で一儲けしようというものもいる。

ペットショップによっては、もうけ重視のところから安く仕入れて、売りさばくなんていうのも普通にある。その過程で、売れ残った動物たちは、”処分”そして”廃棄”される。

まあ、そんなことも知るようになった。そして、そういった動物を救おうとしている団体のことも。

ただ、自分のやっていることはほぼネットショッピングのそれと変わらないような感じでもあり、結局動物をインターネットで見つけて気に入ったら購入ということは、ショップに出向いて購入することとさして変わらないのだともわかっていた。

ただ、ノルウェージャンをお迎えしたかったのだよ。あのふわふわがどうしても忘れられなくてね。

あるブリーダーの載せていた子猫の写真が気になってコンタクトを取った。ちょっとタレ目の困ったような顔の女の子。

実際会いに言ってみたら、兄弟姉妹の中で一番おっとりだった。みんながいそいそケージから出て遊びまわる傍でのんびりと動き、ご飯を食べてしばらくしたらようやく散歩に出かける。テーブルの隙間から床に転がり落ちて鈍臭いことこの上ない。そんなのを見ていたら、連れて行こうという気になった。

11月のひんやりした抜けるような青空の朝に迎えに行って、1時間以上電車に揺られて、うちに連れて帰った。初日に家の中を探検して周り、おトイレも上手にできて、スヤスヤ眠る様子は愛くるしかった。僕はスヤスヤ眠る姿を見るのが好きなのだ。それは人であっても。

二日目にくしゃみをたくさんして、鼻水を垂らし始めた。お医者さんに連れて行ったら、風邪だという。お薬をもらって飲ませようとするが嫌がるので、大好きなカルカンのおやつに混ぜて食べさせたら、あっさり食べた。一週間で治った。

そんなことをおもいだしながら、傍で丸くなってスヤスヤ眠る猫を撫でる。四年経って美しく育った。目は少しつり上り、タレ目ではなくなったが、大きくまん丸な黒目は子猫の時そのままだ。

ノルウェージャンだから、名前はフィヨルド。フィヨと呼ぶ。