ブログを始めて二番目に書いたのが、ある二人組についてのことだった。OlivaとFoltz。ピアノのStéphan OlivaもクラリネットのJean-Marc Foltzも共にフランス人。Olivaに関しては確か日本のインディペンデントのレーベルが扱ったアルバムを通して知ったんだと思う。Foltzについてはその数年後にBassのBruno Chevillonとのimprovisationライブのアルバムで知った。二人の共演しているアルバムを始めて聴いたのはOliva名義のアルバムで、そのアルバムはOlivaが何人かのミュージシャンとデュオを演奏する内容になっていた。

Foltzとはコルトレーンの曲naimaとLonnie’s Lamentを演奏しており、その極限まで削ぎ落とした音で表現された、たゆたう音の静謐さの中に、二人の音楽的繋がりを強く感じた。

その後二人の共演するアルバムがいくつかリリースされ、やはり相性の良さというのはあったのだと思うと同時に、僕はこの二人の音楽を敬愛するようになった。二人とも一つ一つの音の扱いが極めて丁寧で、普通ならテンポが失速してしまうギリギリのところで音楽を持続させる能力に長けている。一つの音に何を語らせるのかをよく知っているのだ。

improvisationだと躊躇するかもしれないが、もしガーシュウィンの曲を集めたアルバムがあると知ったらどうだろう?興味が沸かないか?とてもいいアルバムだよ。探してごらん。そのガーシュウィンの曲My Man’s gone nowを演奏する二人の動画を見つけたので紹介することにした。

同業者としてFoltzのどこがいいのかというと、楽器を演奏しているように感ずることなく音楽に入り込める音色だ、ということだろう。バスクラリネット奏者でクラシック以外の音楽をやっている人が陥りがちなのが「上手なバスクラリネットの演奏」が音楽の手前に来ちゃうという現象。そういう演奏は僕にとってつまらない。もちろんバスクラリネットに限った話ではないけれど。まあ同業者としてはどうしても辛口になってしまうのは致し方ない。ソプラノクラリネットについては、スィングの人ばっかりでリスクを背負う馬鹿(いい意味だぜ)が見当たらないのでそれはそれで面白くない。

みんな違って当たり前。そして、人がやったことをやるんだったら、その枠組みをどう外していくかを考えて、自分の表現を磨き続けることが、音楽をやる者の務めだろう。その姿勢を保つことが今後10年20年いや死ぬまでの自分の音楽の成り行きを決めるのだ。

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