月光茶房というところに行った。表参道にある喫茶店で、ECMという、ジャズ、クラシック音楽、現代音楽などを取り扱うノルウェーのレーベルのアルバムのほぼ全てを所有していることでも有名だ。それ以外にも、ヨーロッパのフリージャズのレーベルのアルバムも多く所有している。店主の原田さんと少し話をする中で興味深いことを知った。

ECMの最大の市場は日本であると僕は思っていた。リスナーの多さという点でも売り上げという点でも。なぜ、そう思っていたかは冷静に考えれば理由のない勝手な思い込みではあるのだが。そういった時期もあったらしい。しかし、今やECMのアジア圏における最大のマーケットは韓国に移っているそうだ。

その理由は、日本のリスナーはECMのジャズのシリーズを聴くがECM new seriesというクラシック系(現代音楽も含む)のアルバムはほとんど聴かないということにあるらしい。日本に比べ韓国の方が音楽教育への意識は高いらしく、そういった環境が、新しい音楽を受け入れやすい土壌を作っているのだそうだ。

そういえば、数年前にフランスのジャズプレーヤーの大御所Henri Texierがソウルに来ているのをSNSで知ったのを思い出した。Henri Texierが日本に来たのは確か2000年ごろが最後。以降フランス系のプレーヤーが来日する機会は激減した。

新しい音楽への好奇心と渇望は、音楽が存在しそれを作り出す人々の原動力である一方で、もちろん聞く側の人々にもあって然るべきだと、僕は考える。あえて「べき」というのはどうかと思う。しかし、未知のもの、知られざるものへの、知りたい、体験したい、感じ取りたいという欲求を失っているのだとすれば、それは取り戻す「べき」ものなのだ。居心地のいい環境で快適なものだけを摂取して満足するのだとすれば、それは人間的というよりも、自動化された快楽需要装置のようなものだ。

単純なことなんだ。美しいものを、楽しいものを、聴きたい、というその思いを否定はしないが、少しだけでいいから、日々、予期せぬ音に出会い戸惑ってみる経験をしてほしい。その先に思いがけない発見がきっとあるはずなんだ。そうすることで、次なる創造が起こり、さらなる驚きと興奮と喜びが日々に訪れる。様々な人のありようが許容され、お互いにそれを受容し理解できるようになるとすれば、それが多様性に適応するための土壌を作り出すのだと思う。僕らにはその視点がまだ著しく欠けているし、不寛容でいることで自分の城壁を頑なに分厚くしているように思えてならない。

たかが音楽だと言われるのだが、そのたかが音楽ですら不寛容になるのだとしたら、「たかが」では済まないものに対してどうできるというのだ?

心を開け。

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