「北田さ〜ん、キタダさん、終わりましたよ〜」
麻酔がかかってからすぐだった。やたらと話しかけられる。自分は何をしているんだっけ。ああ、マスクをしている人がいるなあ。仰向けだ。目が回る。どうやら病室に運ばれるらしい。終わったってことか。気持ち悪い。吐きそうだ。やめてくれ、ストレッチャーを転回すると余計に胃が迫り上がる…

実際に内容物のない嘔吐を2回ほどやった後、ストレチャーからベッドに移されて、自分の病室へ。8人部屋で、各々がカーテンで仕切られている、ベッドとテーブルと引き出し付きのパソコンデスクが入ったら満杯な、何もない退屈な空間。壁にはコンセントや酸素供給口や読書灯が配置されている。カーテンは薄緑色で、隣は全く見えないが、上部は網状になっていて少し背伸びをすれば中が覗けるようになっている。その狭い部屋に横たわる頃には、吐き気はいったん治まった。

3時間の予定が4時間に少し伸びた、でも手術はうまくいった、なんていう執刀医の言葉を耳の中で拾いながら、でもそれよりも、今度は左肩がじんじんと痛むのが気になっってしょうがない。以前親知らずを抜いた直後に麻酔が切れた時間帯を経験したが、あの痛みに近い。ただ、耐えられないほどの痛みではないので、耐えるしかないのだが、それがずうっと続く。仕方ない。まだ18:00。術後すぐだからそりゃあ痛むさ。とは思ったものの、痛み止めがどの程度これを緩和してくれるのか不安になりながら、うつらうつらとする。麻酔の名残か、痛み止めのせいか、眠ったような眠らないような時間が続く。やがて部屋の灯が消え、今の時刻が21:00だということを知る。痛みは変わらず続き、それに加えて、ジワリと尿意も。これは困った。いよいよ尿瓶というやつなのか、と思う。

寝ながらおしっこをするなんて、子供の頃のおねしょ以来の行為なのだが、子供の頃と違い自意識がある今の自分にこの背徳感を打ち破ることができるのか…痛みに耐えつつそんなことを妙に真剣に考える。そうこうするうちに頭の中はそのことばかり。膀胱じゃなくて頭の中がおしっこでいっぱいになって、たまらずナースコールを押し尿瓶を受け取った。尿瓶は足の間でひんやりとする。やれやれと思いながら、さてと。

これが出ないんだな。

何度トライしても、心のブレーキがしっかりと栓をして、僕にそんなハシタナイことをやってはならぬと告げる。くだらない羞恥心がこんなところで自分に牙をむくとは思いもしなかった。プライドが高いのか?俺は?とも思う。なんのプライドかよくわからないが…

そんなことを何度かしていたら、看護師さんが見かねて、車椅子に乗れたらお手洗いまで行ってみてもいいですよ、と助け舟を出してくれた。それができるのならやってみようと思ったのだが。

これがまためんどくさい。点滴と酸素マスクと、心電モニターがくっついているので、それを車椅子に移し替える作業。そして、痛み止めで朦朧となっている自分をそこに持っていかなければいけない作業。10分ぐらいかけて、車椅子に腰掛けた途端、今度は強烈な吐き気に襲われる。治りそうもないので、もう一度ベッドに戻り、しばし横になる。そうはいっても大量の点滴による尿意は、いつかは決壊するだろうから、どこかで吐いてでもやらなきゃならない。仕方なく、ベッド上で上半身をゆっくり起し、体が重力に対して縦になることに慣れるのを待ってから、車椅子に移動することにした。

2度目はなんとか吐き気もなく車椅子に乗れたが、運ばれる間に何度も嫌な予感がやってくる。そうこうしているうちにトイレについた。立ってやりますか?それとも座ってやりますか?と聞かれたので、少し考え立ってやることにした。フラフラと立ち上がり、計量カップを手にとって、まつ。体力がないせいか、体の筋肉が動かないせいか、数分しても出そうにない。ただ、感覚はもう離陸せざるを得ない最終ラインを過ぎているのはわかっているので、さらに待つこと数分。

その時はついに訪れた。本流というには程遠い、小川のような流れだけれど、時間をかけて。それはしっかりと点滴で蓄えられた水分を循環させた後にふさわしい量だった。

ホッとして再び吐き気を抑えベッドまで戻り、点滴を戻し、酸素マスクを切り替え、首から下げたモニターを外し、ベッドに横になる。おそらく20分以上はかかったに違いないが、ようやく少し眠れた。

ところが、である。この尿意というやつが一晩中続くのだ。朝6時の起床時間までに4、5回行ったと思う。ほぼ眠った気がしない。その後も数回。吐き気は続くし、痛みも依然として治らない。朝食は数口食べた程度。午前中にレントゲンを撮りに移動したときに、わずかに入ったその朝食をしっかり病院のフロアにぶちまけ、悲惨な気分になった。昼頃までこんな調子だった。ただ、痛みがだいぶ治まってきたのはわずかながらの希望だった。昼食を食べるのを断念して、ぐったりしていた頃に、主治医の先生が状況を見に来て、どうやら痛み止めの点滴が吐き気の副作用をもたらしているのでは、ということで、痛み止めの点滴を外すことにする。

そこから1時間ほどした頃から、少しずつ気分が軽くなってくるのがわかった。体を起こすことも辛くなくなったし、少し動けそうな気がして来た。そうしているうちに1回目のリハビリの時間が来たが、今度は車椅子で移動している間も吐き気もなく、傷の痛みも治り、回復していることを実感した。

とはいえ頭の横に500mlの点滴がぶら下がっているので、リハビリが終わる頃にはまたトイレに行きたくてしかたなくなっていた。ただ、調子の良さそうな僕を見て看護師さんが、自分で歩いて見ますか?と行ってくれたので、やってみることにする。点滴を吊り下げるキャリーを手で押しながら看護師に付き添われて、トイレまで。なかなか調子が良い。あっさりと用を足す僕を見て、看護師さんが、もう一人で歩き回っていいですよ、と声をかけてくれた。体と心がくっついた感じだった。

部屋にいそいそと戻り、財布と電話を手にし、自販機コーナーまでいく。とにかく、喉が渇いていたし、メールもしたかったから、こんな些細なことでも自分でできるようになることが嬉しかった。

リプトンのレモンティーをなんとなく買う。その冷たい感覚を喉に感じながらホッとっする。30時間ぶりのしっかりとした飲み物。ありがたかった。

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