「色々な引き出しを持っているように感じます」

演奏後にそんな風に言われることがあり、そんなものかなと幾分怪訝に思いながらも、その意図することを自分の中で理解しようとする。それなりに音楽の中で様々な面を見せることができたのだろうか、と思う。むしろ困惑することもある。僕という人間の奥行きについて自分で考えたときに、それほど深いところまで廊下が続いているようには思えないのだ。その道を追求する人々に比べたら、自分の心の奥底に積もっている物事の厚みなんか、指先に薄くこびりつく程度の埃じゃないかとも。

一方で何も考えずに、つまりは無意識のうちに、色彩を変え物語を紡ぎ、幻想やら悪夢やら狂気やらを現出することができるようになっているのかもしれないと思い、そうだとすれば30年ほどの積み重ねの結果であるのかもしれない。

「どうやってその引き出しを作り上げたのですか?」

引き出しの話をしながら頭の片隅に浮かび上がるそれを見ている。赤茶色の木目が美しい、がっしりとした肩ぐらいまでの高さの引き出し。引き出しの数は二列十段。細かな鱗模様がほどこされた小さな鉄の取手が付いている。取っ手を指で摘んで軽く引くと、引き出しはなめらかに滑り出す。その頑丈な見た目とはうらはらに。

それが暗い畳の部屋の真ん中に無造作、無思慮に置かれて、僕はそれを引いては戻しを繰り返す。戻すたびに空気の抜ける音が“フンッ”と聴こえる。

中身は空っぽで、外観とは裏腹に白くまっさらな仕上がりの木目が僕をあざ笑うかのようだ。

何も入っていないのだ…

「引き出しはあるとは思います。でも、あまり引き出しの開け閉めを意識したことはありません…」

いずれにせよわかっているのは、僕にはいつも自分のやったことに関する手がかりが自分自身で掴みとれていない、ということだ。

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