リドリースコットのブレードランナーの製作をめぐる話の中で一つ印象に残っているくだりがある。僕はリドリースコットの映像を作り上げる感性が好きだ。そして、本人の感性もそうだけれど、そこに関わる様々なスペシャリスト、衣装だったり、デザイナーだったり、脚本家だったり、そしてもちろん原作者であるフィリップKディックがあってこそではあるのだが。

このくだりというのは、まさにそのスペシャリストでアーティストのちょっとしたことだけれど、それがあることによって作品の美しさが格段に上がるということを示している。まあ、実際の映像を見て、うなずく人もいるだろうし、そうでない人もいると思う。が、僕にとってはそのちょっとしたことを必然とするセンスに感銘を深く受けてやまない。そのアーティストとはこの映画でカメラを務めたジョーダン・クローネンウェス。息子も撮影監督でファイトクラブを撮っているそうだ。

タイレル社を訪問したデッカードの前にレイチェルが初めて姿を現すシーンの撮影についての話だ。このシーンは初めて見たときも印象的だった。永遠の薄暮のような鈍い黄金色の光に包まれ、高さのある柱の天井側は暗くてその奥行きははっきりとはわからない。そしてせせらぎがあるわけでもないのに、水面ウィオ反映する光の揺らぎが壁に反射し、重苦しくて息が止まってしまいそうになりそうな空間を、蘇生させるかのようだ。余談ながら、このシーンは昨年公開されたブレードランナー2049にも受け継がれ、そこでまた再びレイチェルが現れるという、シンクロニシティとして描かれている。

さて、初代ブレードランナーのクローネンウェスが仕掛けたヴ卓越した感性とは何か。

そのシーンでレイチェルは部屋の奥から歩いてくる。顔がはっきりとわかるようになったところで、一瞬レイチェルの顔を影がよぎる。部屋の上に横に通った梁のようなものがあり、それがレイチェルの顔に影を落とすような感じだ。さっとよぎる影をくぐり、レイチェルの顔が再び現れる。先ほどよりよりはっきりと、そして大きく、顔の表情もよくわかる。無表情で、完璧なスタイルで、デッカードの前に現れるのだ。

その感性とは、撮影に際し、レイチェルの顔に影を落とした、ということなんだ。

映画を見ればわかるのだが、部屋の構造の上でも光の当たり方の上でも、そのように横向きに影を作るような構造物は一切存在しないのだ。つまり、その影は、あえて一度レイチェルの顔に落ちるように意図された、本来不自然なはずのものなのだ。でも、そんな印象は一切受けない。

クローネンウェスのこのアイディアは彼の発案だそうだ。クローネンウェスはこの影を入れた映像を撮った時に、そばにいた同僚で撮影監督でもあるアーネスト・ホルツマンの方を見て、「This is it.(これだよね)」というふうな顔をしたそうだ。

僕自身は最初は見過ごしていたが、その話をメイキングで知って見て、確かに「これだよね」という感覚を肌で理解できた。うまく言葉にはできないけれど。まさに「これだよね」

リアリティというのはよく映画の質を語る上で語られることではあるが、リアリティを追求することが映画の本質と直結するわけではない。SFなんかはよく、科学的に検証された、あり得ることの積み重ねがあってこそ説得力を持つように思いがちだが、そもそも、空想の中に遊ぶ以外になんの現実性もないSFこそ、リアリティから乖離してしまえる最高の装置なのだと思う。宇宙人が普通にいる世界なんだから。

クローネンウェスの「これだよね」は何もSFを撮っているからではないのだが、より映像の美しさと、印象を際立たせるために不自然と思えるはずのことを、さりげなく仕込めるその感性に唸らされた。よくよく見れば、光の使い方も素晴らしく美しい。インタビューの中で、クローネンウェスのことをフェルメールのようだと評していたが、それもうなずける。フェルメールの光の表現の仕方は本当に美しい。いや、闇を表現するといった方が良いのかな。

これは音楽にも通ずるところがある。特にインプロヴィセーションの世界では、理由がないけけど「これだよね」という瞬間を生み出せるかどうかが、そのインプロヴァイザーの資質にかかってくると思うのだ。

理論的に、言い換えればリアリティのある音で即興を積み重ねていく以上のこと。本来有りえないはずの音、間、息遣い、音色、物語、感情の発露、温度、を投入することによって、音楽に光と闇が生まれ奥行きを増し、魔物が潜み始め、聴く人に期待と不安をもたらす。それらはアーティストがどれだけ「これだよね」と言える瞬間を見つけるために失敗と成功を重ねたかにもよるのだろう。自分自身には失敗の方がいつも多い気がするが。

即興に限らず曲作りの過程においても同様なことはある。なんかよくわかんないけどこれがいいかな、というものの積み重ねのうちに徐々に曲が組み上がっていく感覚というのはある。願わくば横を向いて「これだよね」という顔ができる仲間がいると作曲するのもまたいいのかもしれないが。いつも、独りよがりになって結果ライブでやって見て薄い反応しかない、っていうことが続くのもなかなかしんどいものだ。

さて、またブランクの五線紙に向かうとしよう。

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