これは楽しい気持ちになる話ではない 。自殺にかかわる話なのだから。しかしそこに僕は生きる事の希望を見いだす。

僕自身が体験したことではない。経験した人から問わず語りにかたられたひとつの死にまつわる話。

深く長く親しき付き合いの友人が自殺した。そんな連絡をその友人のお嬢さんから聞いたのは2018年元旦。大晦日の夫婦喧嘩のあとに唐突に聞いたのだそうだ。自宅のベランダから飛び降りたと。看護師であるお嬢さんは、ひたすら悔やんだそうだ。なぜ、兆候に気づかなかったのかと…なぜ語ってくれなかったのかと。もしなにか苦しみが母にのしかかっていたのであれば、なぜ、もっとも近しい関係の自分が、なぜ、気付けなかったのかと。悔やんでも悔やみきれぬ想いを、電話口で娘は語る。

娘よ、あなたに一切罪はない。娘を愛するがゆえにあなたの母は他人には知れぬ己の絶望と苦悩とを隠し通し抱えて旅立ったのだ。それは深い愛なのだ。あなたはその愛を一身にうけるにふさわしいかけがえのない存在であったのだ。

僕にこの話を語るその人は、旅立ったかけがえのない友人の気持ちが深く理解され、苦悩と愛に引き裂かれんばかりに共感し、しばし目に涙をたたえる。

僕に語るその人は言う。先立った娘を送る、しおれて小さく縮こまり悲しみにくれる90歳をこえる母の姿を見たと。そして思ったそうだ。長く生きるのは申し訳ないと。

そんなことはない。あなたは我儘な夫に尽くし、耐え、悲しみと孤独に耐えぬいたのだ。幸せに生きる権利があるのにもかかわらず。60を過ぎてようやく自分の人生を生きるために、その人生の中のささやかな喜びとして僕に楽器を習うことを選んでくれたのだ。存分に生きてほしいと望む。僕にその手助けがわずかでもできるのならば、僕がこの世に微かにでも存在するための立派な理由になろう。

新しい年の幕開けを悲しみに打ちひしがれ迎え、今なお何故旅立ったのかに苦悩し、しばしともに過ごした日々に思いを馳せ頬を緩ませ、今この瞬間に戻り、涙をこらえ、僕にその出来事を淡々と語るその人の前で僕は激しく動揺する。確かなのは僕が涙を流すわけにはいかないということ。絶対に。僕にはさらなる苦悩、絶望、喜び、感謝、謝罪、後悔、切望、経緯、礼儀、思いやり、気遣い、共感、優しさ…本来人が持つべき資質と経験がまだまだ必要だ。涙でそれらを洗い流すには、流せるほどに積み重なる人生の重さが必要なのだ。

ふと、若くして自死を選んだ先輩を思い出し、自分を鼓舞する。彼が生きたいと望み、でも生きられなかった人生を僕はもう20年近く生きている。もし彼が今の僕を見たらなんと言うだろうか…

僕にはその言葉はわからない。ただ思う。

激しく、情熱を持って生きろと。愛すると心に決めた大切で特別な人を生涯愛し守れと。希望に満ちて。

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