特別な年ということがあるとすれば、今年。人生の中でも大きなことが色々起きた年だ。中でもやはりNYでTim Berneとライブをやれたことは大きい。30年かかったよ。初めてTimのDiminutive Mysteriesを聴いて、わけが解らないゆえに解りたいと思って、その音楽にハマって以来。まさか、その当時は自分がこの人と直に会ってライブをやるなんてことは微塵も思わなかった。

時を経て様々なものを聴き表現する中で、自分の核となったこの音楽は一方で僕を苦しめもした。ただひたすら自由さに惹かれて即興演奏を始めた僕の前に立ちはだかったのは、なぜか、理論と、ルールと、伝統と、お作法の連続からなる”機転の効いた”音楽で。もしかしたら、僕が勝手にそう思い込んだだけで、音楽はいつも自由でいたのだろうしそれに間違いはないのだが、僕には全くそうは見えなかった。簡単な譜面を読むことすら苦痛だった僕の前に、不可能を通り越して絶望のように音楽は立ちはだかった。頭の中に鳴っていたはずの音はどこかに消え、かろうじて人並みに程度に努力した練習の残滓から、無意味のかけらを寄せ集めたような、心のない音の連なりばかりを並べ立てるだけの日々。いつやめても後悔すらしない程に情熱の冷めたことはなんどもある。

今こんなことを書けるのは、少しは希望の途上にあるからだろう。まだ音楽は満足のいくにはほど遠いけれど、やって見ようと思ったことを少しずつ形にし始めたから。

ともあれ、4回にわたるNY行きはTimとのライブによって、以前から考えていた次のステップへ進めというサインを自分に出す重要なきっかけになった。

自分のprojectとしてDialog Between, Brain Drain, Top of the worstを立ち上げ、動かしたのも今年だし、よくよく考えたらようやく自分のweb siteを持ったのも今年。audaceでツアーを立て続けにやったし、拙文が雑誌に載ったのも今年。

ヴィム・ヴェンダースが何かのインタビューで「私は回り道専門だ」と答えたのを目にしたことがあり、それは僕の心のささくれに引っかかって外れないでいる。あるいは開高健の「悠々として急げ」という言葉もまた、僕の胸の鼓動をかろうじて動かしてくれる火となっている。

前向きな言葉をたくさん並べられたらいいのだが。僕が自分で思うほどに絶望的に見えなかったとすれば、それは出会った人たちのおかげであるのだ。それは、一度しかライブに来れなかったあなたでもあるし、あるいはしばしば来てくれるあなたでもあるし、あるいは共に演奏して僕を引っ張り上げてくれるあなたでもあるし、陰口を叩いてくれたあなたでもあるし、買いかぶってくれたあなたでもあるし、実はまだ出会っていないあなたでもあるし、もちろん、言うまでもなく、あなただ。

しばし目をつぶると、見た光景に、行った場所に、初めてしたことに、遠い昔にして以来のことに、歩いた街に、太陽の光に、吹く風に、雨に、何気無い会話に、心踊る瞬間に、待ちわびるひと時に、名残惜しさに、手触りに、舌の上で開く味に、繰り返す音に、かすかに鼻を捉える匂いに、柔らかさに、熱さに、心地よい眠りに、寒い中の温もりに、可笑しな出来事に、笑ったことに、驚いたことに…心が飛んでいく。思い出を数え切れないくらいもたらした、特別な年で、この10数年の中でも最良の年として。

 

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