魚の鮮度を保つための活け締めという方法がある。じわじわと魚を死に至らしめると、その過程でストレスによる化学物質が生成され、身質を著しく落とすのだそうだ。だから、魚がそれと分かる前に息の根をとめることで、鮮度を保つ。

平たく言えば、即死させるということになるのだろう。手法は様々で、例えば細い針金を脊椎に頭部から差し込んで締める神経締め。専用の道具と、ちょっとしたコツがいるそうだ。僕はこの方法はまだやったことがない。僕のやる方法は、エラを切断する方法。これは簡単で、ハサミでもできる。釣った魚の片方のエラ蓋を開き、エラの付け根にハサミを奥まで差し込む。そして一気に切断する。エラの付け根からおびただしい量の血が溢れ出る。バケツか何かに海水を汲んでおき、エラを切断した魚を入れると見る間に海水が血に染まる。出血が止まったら魚を新聞紙に包んでいそいそと持ち帰る。

カタクチイワシなんかの小さい魚は、氷を大量にぶち込んでキンキンに冷やした海水に放り込むと即死する。他にも、魚種、大きさによって、首を折るやり方や尾っぽの付け根を切って血抜きをするやり方もある。

スーパーや魚屋で横たわっている魚が、どのような死をめぐる行為を経てそこにいるのかはわからないが、少なくともどこかの過程で生から死への転移があったのは間違い無く、僕らはそれの結果を食べるのだ。場合によっては活け締めかもしれず、場合によっては水揚げされつつ緩慢な死を経たかもしれず。いずれにせよ、誰かしらがそれを僕らの代わりに引き受けてくれる。

僕は幸いなことに、時々ではあるが、命を奪う行為を自分でなすことができている。

幸いなのだ。眼の前に横たわりこちらを凝視する目。激しく暴れ全身で抵抗し、生きようとするその強烈な意思。僕はそれを自分の手で押さえつける。僕の胸は高鳴る。ハサミを手にしエラ蓋をこじ開ける。鋭利なエラ蓋が僕の指を切り、僕の指からも血が流れる。エラを支える骨に到達した固い感触をハサミを通して感じ、僕は一息吸う。躊躇なく一瞬で切断できるよう気持ちを込める。そして、ハサミを持つ手を力の限り一気に握りしめる。ごきっという手応えとともに、魚はピクリと痙攣する。そして眼から光が消え、力なくだらんと横たわる。切断されたエラから、血が溢れ出す。僕の手は自分と魚の血にべったりとまみれ赤くぬらぬらと光っている。

いつもその瞬間に、僕の胸の奥で何かが潰れる音がする。それが何かはわからない。ただ、同時に、心の奥に普段は隠れていて露わにならない自分に出会って、恐れおののきつつ、生きることを実感する。幸いなのだ。

ともすれば、こういった生の感覚に出会う機会を失いがちなのが、今の自分の生活様式で、つまりは僕の音楽が強さを失ってしまうことでもある。

僕にとっての音楽は、体温であり、血流であり、痛みであり、残酷さであり、優しさであり、衝動であり、臭いであり、触感であり、味であり、苦悩であり、喜びであり、欲望であり、失望であり、切望であり… 何か僕の心臓をえぐりとって、握りつぶしてしまえば良いとでもいうような、そんなものだ。それができないから、僕はエラ蓋をこじ開け、エラを切断しているだけなのか?

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