毎度のことながら、時差ボケには悩まされる。昼と夜が正反対なのだから、まさに白昼夢のような状態で日中過ごすことになる数日間。日が沈む頃まで無理やり起きて、そこから眠り、夜中の3時に目覚めてからは、まんじりともしていられなくなる。夜が明けるのを待ち外に出て歩き回り、体を動かす。昼頃にはまた睡魔が襲ってきて、どうしようもなくだるくなる。頭はぼーっとし、何にも無関心、無反応。この時期の精神状態はなかなか繊細で、弱気になったりすることもあれば、前向きになったりすることもある。それはそうだろう。独りで不慣れな街にいて、人は時に優しく、時にそっけない。心が踊り、疲れ、不安になるのは当然だ。できれば、心地よい状態でいたいと思うが、improivisorとしては、こういった動揺した不安定な感覚も大切だ。

そんな心のありようが、数日かけて、だんだんニューヨークという街にチューニングされていく。何か、しっくりとその場にいることを受け入れられるようになるのだ。

別にローカルの人間になれるわけでもなく、あくまでも異邦人ではあるのだが、時に自分が一体何者なのかわからなくなる時がある。街を歩くまでもなく、地下鉄に乗ってみるだけでもわかるが、乗客は、アングロサクソン、ヒスパニック、アフリカンアメリカン、アジアン、イスラム系、ユダヤ系… 人種、宗教という目に見てわかる特徴で判別しても、これだけの多様性が一つの車両の中に混在するのだ。その中の誰がアメリカ人で、誰がそうでないのかを判別するのは不可能だ。つまり、僕は異邦人でありつつ、この街を構成する一つの要素でもあるのだ。

そう、地下鉄はとても面白い体験だ。ニューヨークの地下鉄はまるで生き物のようだ。まず、日本の地下鉄に比べて車内は汚く、薄暗い。体臭と香水と汗の混ざりあったような、まったりとした匂いがする。列車はやかましい金属音を轟々キイキイたてながら、不器用に激しく車体を揺らし、急に止まったかと思えば思い出したように動きだす。乗客は内臓に溜まった消化されかけの食べ物のように、無表情でうつむき、自分の降りる駅で排泄されるのをただひたすら待っている。

駅の構内もまた古びて、薄汚れ、線路の間の溝には何やら小便臭い水が大量のゴミと一緒にたまり、ネズミの親子が食べ物を探してちょこまかと走り回る。湿気を帯びた生暖かい構内に列車は一向に到着せず、それを待つ人々は慣れっこではあるもののうんざりとした顔。

そんな日常をだんだん体に染み込ませて、街を歩き、ライブを観に行き、分厚いパテのハンバーガーをいくつか食べたころに、ようやく時差の白昼夢から覚める。

明日はいよいよ自分のgigだ。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中