曲はどうやって作っている?とたまに聞かれることがある。なかなか答えるのが難しい。

まず、道具。
鉛筆と、消しゴムと、鉛筆削り。12段の五線紙。midiキーボード。PC。クラリネットを使って作曲したことは、皆無だ。理由は、キーボードだと自分の楽器の苦手な部分を意識しないで作れるから。自由になるのだ。とはいえ、キーボードがちゃんと弾けるかと言うと、実は、弾けない。バイエル程度でも弾けない。バルトークのミクロコスモスなら、一冊めが弾けない。でも、弾けなくても、頭の中で鳴っているので、それを確認する程度にキーボードがあればいいんだ。

鉛筆は、Bぐらいの柔らかさ。メーカーにこだわりはない。五線紙については、不満だらけだ。A4サイズのものが欲しいが、ないんだ。あっても高い。無駄に分厚い。だから、今はある教則本の末尾にある五線紙を、レッスンしに行く会場で大量にコピーして使っている。僕はケチで、ちゃっかりものだ。

作る時間帯は、深夜。2時前後。日中にできた試しがない。コーヒーを入れて、テーブルに道具一式を置き、あぐらをかいて、途方に暮れる。頭の中で鳴る、と言うと、聞こえはいいが、そんなに一日中鳴っているわけではない。しかも、特定のハーモニーとか、メロディーではなく、もっと漠然とした状態だ。なんかこういう感じなんだよなぁ程度。僕は音感がそれほどよくないので、別にAとかDbとかで気をもむことはない。何か鳴っているものを少しはっきりさせる感じ。

でも、その漠然とした感じが、一番いい状態だと思っている。クリヤーにしすぎないことで、曲としてできた時に演奏の自由度が圧倒的に上がるのだ。がんじがらめに、がっしりと出来上がった建造物にするより、遊びがあり、いくらでも足し引きできる作りの骨組み程度がいい。ここのところが本当に説明に窮するところだ。まあ説明できるようなら、こんなに苦労はしないだろうし、もう少しマシな音楽家になっていたんだろう。

最近の傾向としては、無調の意識はしている。ランダムな音の並びの中から、意味を汲み取っていく作業は本当に自分の感覚が試されるので、不安なことこの上ないのだが、時々驚くようなものが見つかる。未開の地をゆく探検家のような気分だ。

そうこうして、断片的な数小節が溜まってくると、ある時点で、それらを俯瞰して眺める。すると、時期が全く違うときに作られたものがうまく共鳴して、一つの形を持ち始める時がある。あ、これとあれがうまく繋がるな、と言う感じだ。それをいくつか集積して、最終的に、PCに入力して、再生させながら、リズムや、ピッチなどの細部を微調整。

最後に曲名をつけるのだが、これははっきり言って適当だ。曲の何かしらを反映させたようなものはつける気がしない。それで変なバイアスがかかるのが嫌なのだ。何しろ、何かのテーマがあったりとか、インスパイアされる出来事が根底にあるような曲作りはしないのでね。即興演奏家とはそう言うものだ。作曲という側面においても、今、その瞬間の何かを掴もうとするのだから、テーマはない方がいい。

特定の奏者をイメージして作るケースもあれば、特にそういうことを考えないで作ることも。

そして、いつか人に聞かれる日が来るまで、ほったらかし。そんなのがだいぶ溜まってきたので、そろそろどこかのタイミングで蔵出しをしたくなってきた。おそらくはbrain drainだな。

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