もう何年になるんだ。食えない物書きの俺が、結果たどり着いた仕事は、風俗情報誌の連載小説のゴーストライターってやつだった。
そこそこ名の知れた新人賞をとって以降、鳴かず飛ばずってのは周りの連中もだいたいそうだったし、そんなもんだと思ってやさぐれているうちに、借金を抱えて闇に消えていくのも常なのが、物書き屋だ。だから、大体作家というのは建前で、ほとんどの連中は日雇いで糊口をしのいでいた。
パリ協定とかいうだ地球温暖化対策が見事に空中分解して、モルジブが水没し、北極圏の永久凍土から湧いてきた病原菌が世界中にぶちまけられたのは30年ぐらい前だと聞く。それ以来、都市の多くのエリアが病人を隔離し管理するバイオハザード区域になっていた。その区域の仕事の中にはまあまあいい稼ぎのものもあり、特段技能がなくともやれるので、俺たちみたいな連中には手っ取り早く稼ぐ方法ではあった。ただ、うまい話には当然裏がある。
俺も済んでのところで、バイオハザード区域の汚染デブリの除去作業の仕事に手を出して、致死性の出血熱で早々にこの世とおさらばするところだった。そうならなかったのは、たまたま出会った男のおかげだ。
その頃俺はモコリーネ・ピノチェンコっていうイタリアンロシア系の高利貸しの世話になっていた。まあ、世話というのは借金の返済日にボコボコにされるってやつなんだが。で、ある時本当にヤバいことになって、タートルヘッドブリッジからニョータイリバーに突き落とされるか、デブリ除去の仕事をやってこれまでの借金をチャラにするか、どっちか選べってとこまで追い詰められた。
デブリ除去はマジでヤバい。一応防護服もちゃんとしてるし、除染も作業後にやるってことにはなってる。だが、この仕事に従事した連中は、かなりの確率で例の出血熱を発症し一週間かそこらで死んでしまう。原因はよくわかっていない。だから誰もやりたがらなかったし、やる奴は政府の提示するそれなりの額の報酬と自分の命とを天秤にかける羽目になった連中だけだった。
で、俺は橋からダイブして死ぬか、借金をチャラにして一週間後に死ぬか選べって事で、デブリ除去をやることにした。まあ100%死ぬわけじゃないから、文字通り命を掛けてみるも悪くないと思ったのさ。
モコリーネに指示されたデブリ除去の斡旋会社に出向くと、簡単な面接と書類記入の後待合室に通された。冴えない風態の男が数人。チラつく照明を放心状態で見ている奴やら、ベンチに座り膝に肘をついて顔を両手で覆って震えている奴やら、絶対にセクスタシードープをしこたま体に打ち込んだに違いない、瞳孔が開ききっている奴やら。
俺も同じ風態なんだろう。生きるってのも面倒な時代。ここいらでどうしようもない未来に幕を引くのも悪くないのかもな、と虚な気分の中でぼんやりと考えていた。
「シェイブーキーさんじゃないですか?15年前のゴールデンスプリング新人賞をとった。「ほとばしる秘水の都」を読んだんです。あれは凄かった。」
部屋の反対側で焦点の合わない虚な目をしていた小柄で痩せっぽちの男が突然話しかけてきた。
「実は、私も同じ新人賞で次席だったんですよ。ですが、あなたの作品を読んではっきりと悟ったんです。ものを書くべき人はこういう人なんだと。書かれた言葉が何層にも奥行きを持って紙の上に広がり、人々の情熱と絶望が文字の中でドクドクと脈打つ。そんな感覚にさせられる物語を紡げる人こそがそうなんだと。」
「だから私はきっぱりと物書きを諦めることができました。その後の人生はまあ、大して良くもなかったですが。でも、一向に埋まらぬ白紙を前に、1年2年と時を重ねる苦悩から解放されたのは嬉しかった。本当に苦しかったんです。創作の全てが。でも、楽になって一読者に戻ることができて、ページをめくる喜びだけはずっと変わらず持ち続けていられます。そして、あの時以来、私はあなたの次の長編を待ちわびているのです。」
「あなたは、こんなところに来てはダメだ。あなたの紡ぐ言葉には力が宿っている。その才能をここで終わらせてはいけない。私の知り合いに、セイクリッド&スプラッシュ社の編集をやっている人物がいます。ご存知ですよね。S&S社。通俗小説が多いですが、純文学も扱っている。私は彼に貸しがあって、彼はいつかそれを返したいと言っているのです。私はもう返してもらえそうもない。ですので、あなたが社に出向き、ドライスプリング、あ、私の名前です。ドライスプリングの代わりに返してもらいに来た、と伝えれば、仕事が必ずあるはずです。」
それが、何年前だったか。S&S社に行って件の編集者に会い、それからいくつか仕事をした。多少は部数を伸ばしたものを書けた時もあったが、次から次へと才覚の迸る連中が湧いてくる中で、次第に俺の前には埋まらぬ白紙が横たわる様になった。
ある時、編集者に呼び出された。
「Mr.シェイブーキー。私はドライスプリングさんには恩があり、それは何よりも守らねばならないものでもあるんです。ですから、あなたにもなんとか、踏ん張って書き続けていただきたい。ただ、今ある仕事は残念ながらこちらだけです。ゴーストライターの仕事。”私の泉で泳ぐのよ”シリーズで有名なMr.フラッドの新シリーズです。Mr.フラッドは、やはり書けない男になってしまったのですが、人気があるのでね。で、新シリーズのタイトルは。。。」
俺はため息をつきながら、白紙にタイプする。
女神アーフレの聖水シリーズ 第1691話