episode 3
“タイニーシャドウリップ”
コシノークヴィーレ山脈を貫くヴァーグウィナ・トンネルを抜けると、それまでの広大なニョータイリバーのデルタに広がる湿地帯と打って変わって、シェブキヌーレイ地方特有の微かにピンク色を帯びた岩と砂だけの平地が広がる。オパティートの丘に挟まれるように、minute man express”早漏れ号”が進み、ヌーレイ川を越えれば、ダンコーンシティはもうすぐだ。
ダンコーンシティを訪れるに当たって、シティカレッジて文化人類学の教鞭をとるタイニー・シャドウリップに案内を頼んでいた。シャドウリップの「男は蜜壺を満たす為の蜂」は、全てを支配しているように見える男たちが、いかに気付かぬうちに欲望に操られ堕ちていくかを見事に表出させたフィールドワークの傑作だ。
ダンコーンシティの巨大風俗地区、Hand to crotchエリア、通称”前戯無し街”に詳しく、今回の取材旅には打ってつけだ。とはいえ、こっちは落ちぶれた風俗小説のゴーストライターだから、そのままでは大学教授に案内なんて頼めたもんじゃない。仕方なく、自分の過去の栄光を掘り起こすことにした。つまりは、ゴールデンスプリング新人賞作品「ほとばしる秘水の都」以来十数年振りの壮大な作品を書こうとしている作家シェイブーキーとして案内願う事にした。
待ち合わせ場所は、中央駅のコンコース、ダンコーン・ソソリッチの像の前。砂金伝説を信じその場所を見つけたシティの生みの親、ソソリッチ。金色の像というのが、いかにもこの街らしい。精悍な顔立ちのアマチュア発掘家は、砂金で莫大な富を手にした後、この、荒野の中に突如として生まれ野放図に膨れ上がりはじめたシティの最初の市長となった。
自分の名前を都市につけるというのは、自己顕示欲としてはなかなかのものだ。治める者が手にした権力欲望のおもむくままに振るう事で、ダンコーンシティの行末は決まったってわけだ。そして堕ちていく。シャドウリップのフィールドワークが描きだすように。
そんなことを、金色の像を眺めながらぼんやり考えていたら、落ち着きのある女性の声が耳に絡みついてきた。
「Mr.ジェイブーキーさんね。シャドウリップよ。」
振り返ると、黒いパンツスーツに身を包んだ長身の女性が憮然とした表情でこっちを見ていた。
「初めまして、シャドウリップさん。お忙しい所ご足労いただきありがとうございます。」
「シティを舞台にした作品を書いているという話だけど、私が必要かどうかがよくわからなかったわ。まあ、立ち話もなんだから、車でお聞きするわ。」
助手席に乗り込み、ドアを閉める。微かにシャンパンハニーの香りが漂う。タレミツバチという蜂が、濡れアカシアの蜜を集めたものをシャンパンハニーと呼び、ダンコーンシティ周辺はこの蜂蜜の産地として知られる。食用以外にも、そのまったりと鼻腔に絡みつき、頭を甘く痺れさせる独特の香りから、”シティの媚薬”とも呼ばれる香水の原料でもある。
「まずは”アーサーの秘肉屋”に向かうわね。あそこのオーナーが、あなたのファンだっていうから、まずは彼に顔を憶えてもらうといいわ。前戯なし街をうまく泳ぐにはそれが必要でもあるから。」
シャドウリップが車を勢いよく発進させる。運転席側の開けた窓から風が吹き込み、彼女の髪をたなびかせる。シャンパンハニーの香りが車内に満ち溢れ、俺の中で欲望が熱を帯びて膨れ上がる。